『鎌倉殿の13人』は全話が秀逸だった “ある家族”をエンタメに昇華した脚本の凄さ

 『鎌倉殿の13人』(NHK総合)は、本当に面白いドラマだった。しかも、全48回の最初から最後まで、ずっと……これは、驚くべきことである。その「面白さ」の要因は、出演者をはじめ枚挙にいとまないけれど、ここで注目したいのは、いわゆる「鎌倉時代」が成立する前後の時期を描くことを決めた、脚本家・三谷幸喜の慧眼ぶりである。源平合戦や壇ノ浦、あるいは「いい国(1192)作ろう鎌倉幕府」として、ある年代以上の人たちには、それが成立した年代(近年は諸説ある)も含めて、馴染みのある「鎌倉時代」だけれども、とりわけ頼朝死後の鎌倉が、これほどまで映画『仁義なき戦い』や『ゴッドファーザー』を彷彿とさせるほど、血みどろの権力争いになっていくとは……。

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 そもそも、日本の「中世(平安後期から戦国時代までの約500年間)」への関心の「高まり」のようなものは、2022年の初め頃から感じていた。山田尚子監督・吉田玲子脚本のアニメシリーズ『平家物語』と、そのあと同じく作家・古川日出男が著した『平家物語 犬王の巻』を原作に、湯浅政明監督・野木亜紀子脚本というタッグで生み出されたアニメ映画『犬王』の好評だ。「なぜ今、中世なのか?」――そんな「問い」を、当事者たちに直接投げ掛けてみたこともある。「僕ら現代人は、武士のことを、実は全然知らないんです」。確かにその通りだったかもしれない。とりわけ、『鎌倉殿の13人』の登場人物たちの大半を占める「坂東武者」については。

 かつて、司馬遼太郎は、こんなふうに書いていた。

「平安末期から鎌倉時代にかけての関東武士団は、人間の集団として特異だった」
「かれらは、倫理に代わるべき廉恥(れんち)という感覚を濃厚にもち、その生死はいかにもあざやかだった」
「戦いに臨めば臆することがなく、自分の生も軽んじるかわりに、他者の生にも冷淡だった」
司馬遼太郎『街道をゆく42 三浦半島記』(朝日文庫)

 『鎌倉殿の13人』全48回を観終えた今ならば、確信をもって言えるだろう。まさに、その通りだった……。けれども、そんな「特異」な集団を描くにあたって、三谷幸喜が主人公に選んだのは、頼朝(大泉洋)でも義経(菅田将暉)でも政子(小池栄子)でもなく「北条義時(小栗旬)」だった。それがやはり、とても秀逸だったように思うのだ。伊豆の片田舎の小さな豪族の次男として生まれた小四郎(義時)は、頼朝のような「貴種」ではなく、そもそも「嫡男」ですらなかった。しかし、兄・三郎/宗時(片岡愛之助)が招き入れ、やがて姉・政子が嫁ぐことになった頼朝――彼の存在と、その後の挙動によって、彼の運命は大きく変わることになる。小四郎/義時は、頼朝のような「武家の棟梁」でも、義経のような「悲劇の英雄」でもない。血気盛んで個性豊かな坂東武者たちの中にあって、どちらかと言えば温厚で特に個性的でもない、ごく普通の人物だ。しかし、それは逆に言うと、一般的な「共感度」が高い人物であることを意味するのだった。そんな彼の目を通して、知られざる「坂東武者たちの世界」を垣間見る――そんな「趣き」が、本作にはあったように思うのだ。とりわけ、その前半においては。

 しかしながら、頼朝の予期せぬ死によって、義時もまた変わらざるを得なかった。兄・宗時の悲願でもあった「武士の世」――頼朝が築いた「鎌倉」を守るという使命感に駆られた彼は、程なくして自らの手も汚していくことになる。ごく普通の人間だったはずの人物が、たまたま「権力」を握り、やがてそれを行使するようになるのだ。しかし、願うべくして手に入れたものではない「権力」は、それを行使するたびに、彼自身の命をも削ってゆくのだった。ちなみに、そんな彼に引導を渡す役が、いわゆる「政敵」などではなく、一貫して「権力」に執着することのなかった姉・政子だったという物語の幕切れも、実に見事なものだったと言えるだろう。

 そう、このドラマが「共感度」という点で秀逸だったのは、まさしく「大河ドラマ」と言うべき「激動の歴史」を描きながら、それが「歴史物語」である以上に、実は一貫して「ある家族」の物語だった点にあるのだろう。頼朝という「貴種」と婚姻関係を結ぶことによって、歴史の表舞台に引きずり出された「ある家族」――「北条家」の物語。その意味で、第47回「ある朝敵、ある演説」における「政子の演説」の場面は、非常に象徴的だった。のちに「承久の乱」と呼ばれることになる「朝廷」との一大決戦を前に、鎌倉の御家人たちを奮起させたと歴史書にも記されている「北条政子の演説」だ。

 御家人たちを前に、自らの首を上皇に差し出す決意を話そうとする義時をさえぎり、政子が中央に歩み出る。ざわつく御家人たちを、弟・時房(瀬戸康史)が静まらせたあと、政子は事前に用意した演説――「私が皆にこうして話をするのは、これが最初で最後です」から始まり「源頼朝様が朝敵を打ち果たし、関東を治めてこのかた、その恩は、山よりも高く、海よりも深い……」と続く、有名な演説だ。しかし、その途中で演説を記した紙を捨て、政子は自らの「言葉」で、御家人たちに語り掛けるのだった。絶妙なタイミングで合いの手を入れる妹・実衣(宮澤エマ)。演説の最後、政子の問い掛けに対して、大声で応える義時の息子・泰時(坂口健太郎)。それを黙ってじっと見つめる義時。そう、結局のところ、このドラマは終始一貫して、宗時、政子、義時、実衣、時房という、北条時政(坂東彌十郎)の「子どもたち」を描いた物語だったのだ。歴史の「点」と「点」のあいだを、人間味あふれる「描写」と「説得力」で見事に結びつけながら、なおかつその中央に位置する「ある家族」の姿をしっかりと浮かび上がらせること。本作が「歴史ドラマ」としてはもとより、ひとつの「エンターテインメント」作品として秀逸だったいちばんの理由は、そこにあったのではないだろうか。

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