『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』は2020年代の世界とリンクする 幕を開けた「双竜の舞踏」

現実と地続き『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』

 2022年にうんざりしている人には『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』を観てほしい。COVID-19のパンデミック、アメリカの議会議事堂襲撃事件、ロシアのウクライナ侵攻、私の住んでいる国では元首相が路上で殺され、国葬が行われた。2020年代、たった2年でこのざまである。私は世界情勢が複雑な背景とは裏腹に、単純化された情報としてソーシャルメディアで処理されていく様子を眺めながら、格差社会や自身のアイデンティティ、ポリティカル・コレクトネス、社会運動について考えーーいや、実際のところ何も考えていないのかもしれない。とにかく疲れ切っていたときに『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』を鑑賞して、とても癒されたのである。

 ドラゴンが空を飛ぶ架空の中世ヨーロッパの世界で繰り広げられる政治劇、必然的に登場人物は国政を担う貴族だけで、市井の人々の視点はまったく描かれない。世界を牛耳る1%の貴族たちに、私たちの常識や倫理観はまったく通用せず、もはや間抜けにすら見える。そんな彼らが近代兵器としてのドラゴンに跨り、大勢の人間を殺していくのは、メタファーやアナロジーにしてはあまりに直接的すぎて笑えてくる。乗りこなせないまま、火を吹くドラゴンに跨り暴れまくる人間たちの姿は、2020年代の風景そのものではないだろうか。

 『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』で描かれている暴力や悲劇の数々は2020年代そのものであり、言い換えるなら、2020年代の世界を理解するために一番適した舞台は「架空の中世ヨーロッパ」だったのである。解決策など提示されないまま、ひたすら愚かな世界の惨状を見せ続けられる物語は、優れた受け手たちが持つ想像力への信頼で成り立っており、その信頼は受け手の政治信条に関わらず、等しく託されている。あなたが保守でもリベラルでも人種主義者でも関係ない。この世界情勢をエンターテインメントに昇華してくれる作り手と受け手のコミュニケーションが生まれる場所として、現代の神話である『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』は、『チェンソーマン』や『進撃の巨人』と同じように、疲弊している私に寄り添ってくれる。もし、あなたが私と同じように疲弊しているのだとしたら、この作品が救いになる可能性は大いにある。2022年現在の日本ではHBO Maxがローンチされていないため、U-NEXTに加入して、ぜひ『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』シーズン1、全10話、10時間の物語に身を委ねてみてほしい。では、これから具体的に作品の魅力を紹介していく。

 『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』を観るにあたって、前作の『ゲーム・オブ・スローンズ』を観る必要はないのだが、まずはその話から始めよう。2011年に放送が開始され、2019年に終了した『ゲーム・オブ・スローンズ』は、ドラマ形式のナラティブが劇的に進化したピークTV時代の傑作であり、私は本作をドラマや映画といった既存のジャンルで形容することに抵抗がある。フランスの『ル・ポワン』誌で「これは連続ドラマではない。惑星的なミサであって、誰もが、社会から破門されたくなければ臨席するようにと求められる」(※)と評されていたように、世界中を席巻した「新たな神話」であり「73時間の完璧な映像作品」なのである。

 『ゲーム・オブ・スローンズ』は、舞台となる架空の大陸ウェスタロスが「王座争奪戦」と「冬の脅威」に見舞われていた時期、通称「氷と炎の歌」の物語を描いた作品である。様々なハウスが王座を巡って争うことが「資本主義」の競争として、そして、異形の生物であるホワイト・ウォーカーたちが「気候変動」として、人類の歴史のすべてを凍結させようと襲いかかってくる。本作では「壁を越える」こと「海を渡る」ことで巨大な悲劇がやってくるというグローバリゼーションの問題が描かれていた。この「氷と炎の歌」の約200年前のウェスタロスを舞台にしたのが『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』なのだが、『ゲーム・オブ・スローンズ』と比較すると物語のスケールは小さくなっている。これは『ゲーム・オブ・スローンズ』と共に、2010年代を牽引していたシリーズ作品であるマーベル・シネマティック・ユニバースが、2020年代から「マルチバース」を題材に宇宙レベルで物語を拡張していったのとは真逆のアプローチと言える。

 『ゲーム・オブ・スローンズ』では、ウェスタロス大陸と海を挟んで向こう側のエッソス大陸にいる様々な登場人物の動向を同時に見せていくことで、主役が不在のまま、世界全体が複雑に動いていく様子を再現していたのに対して、『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』はターガリエン家を中心に、その内部で2つの勢力が対立するというシンプルな構図になっている。2010年代から2020年代へ、グローバリゼーションから二項対立の世界へ。こうして、ターガリエン家の内戦「双竜の舞踏」が幕を開ける。

 『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』のオープニング映像はエピソードごとに少しずつ変わっていく。ラミン・ジャワディが作曲したメインテーマとともに、ターガリエンの血が家系図をなぞるように下へ下へと流れていく。第1話の冒頭、王都(キングスランディング)の上空を一匹のドラゴンが飛んでいくが、街に暮らす人々はとくに驚く様子がない。赤の王城(レッドキープ)で行われている会議、王と小評議会のメンバーが囲む大きなテーブルの席の前には、それぞれデザインの異なる玉のようなものが置かれているが、これが何かもわからない。この世界の習慣や文化に関する説明が一切ないまま、観客は異世界へと放り出される。

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