『NOPE/ノープ』ジョーダン・ピールはポスト・スティーヴン・スピルバーグと呼べるか?

『NOPE/ノープ』不穏さ漂う作風を考察

 いま映画における言論空間で求められているのは、いわゆる映画批評……「これまでの歴史と照らしわせて、その作品がどういう位置づけにあるのか」という映画史論や、「編集や撮影が、ストーリーに対してどのように機能しているのか」という技術論ではないように感じる。「冒頭のテロップに登場する聖書の一説は、こういう意味なのデス!」とか、「クライマックスのあのシーンは、超有名映画のオマージュなのデス!」というような、わかりやすい解説である。

 ネタバレ解説記事の需要が高いのは、設定が難解すぎてキャパオーバーになったり、解釈が多義的すぎて不安になったり、散りばめられたイースターエッグ(小ネタ)が意味不明だったり、1回の鑑賞だけではコンテンツを咀嚼しきれなかった読者が、より深いレベルで物語を受容するために(もしくは自分自身の解釈との答え合わせをするために)、記事や動画を漁りまくるからだ。それは至極当然な行為だろう。

NOPE/ノープ

 そういった意味で、ジョーダン・ピールは非常に“解説向き”の映画監督といえる。アカデミー賞脚本賞に輝いた『ゲット・アウト』(2017年)で華々しく監督デビューを飾り、続く『アス』(2019年)が世界興収2億5000万ドルを突破したこの新進気鋭のフィルムメーカーは、作品のそこかしこに隠喩と暗喩を忍ばせている。様々なポップカルチャーやアメリカに蔓延る社会問題への言及が、シンボリックなイメージとして表象されているのだ。

 最新作『NOPE/ノープ』もまた、観る者に“考察”を誘発する作品となっている。ものすごーく乱暴にテーマを言ってしまえば、「映画史においてその存在を抹殺された黒人が、改めて自分たちの手でその歴史を取り戻す物語」。一般的に世界で初めての映画は、リュミエール兄弟の『工場の出口』(1895年)とされているが、本作でエメラルド(キキ・パーマー)は、1877年にエドワード・マイブリッジが撮影した『動く馬』こそが映画の起源であり、騎乗している人物は自分の曾々々祖父だと主張する。映画史における最初のスターは、黒人なのだと。だが歴史は封印され、その後アメリカ映画の歴史は、ジョン・ウェイン、ゲイリー・クーパー、ジェームズ・ステュアートといった白人スターによって形作られることになる。「白人による黒人の歴史の簒奪」というテーマが、『NOPE/ノープ』全編を貫く通奏低音として鳴り響く。

『NOPE/ノープ』に込められたテーマを徹底考察 逆転した“見られる者”と“見る者”の関係性

映画のはじまりは、フランスのリュミエール兄弟による「シネマトグラフ」の発明からだということは、映画好きの間ではよく知られている。…

 だが本作はそのメッセージ以上に、“見世物映画としての楽しさ”に原点回帰した作品とも言える。人類がCOVID‑19という未知のウイルスに遭遇し、映画業界の未来が闇に覆われた時だからこそ、ジョーダン・ピールは「観客が映画館に足を運ぶような映画を作りたい」という想いで開発を進めた。本作の撮影監督を務めているのは、『インターステラー』(2014年)、『007 スペクター』(2015年)、『TENET テネット』(2020年)などで知られるホイテ・ヴァン・ホイテマ。彼はIMAXと大判の65ミリフィルムを駆使して、圧倒的な視覚体験を創り上げている。そう、この映画はこれまでのようなホラーではなく、スペクタクル映画として認知すべき作品なのだ。

NOPE/ノープ

 “解説向き”の映画から離れ、“見世物映画としての楽しさ”に原点回帰した『NOPE/ノープ』。興味深いのは、それでも全編の隅々に独特のジョーダン・ピール節が炸裂していて、単純明快なスペクタクル映画と言い切れないくらいほど、“不穏さ”が画面を支配していることだ。すでに本作をご覧になった読者の皆さんに向けて、世界で最も有名な映画監督と比較しながら、その作風を考察していこう。劇中の登場人物についての背景についての説明は省略させていただきたい。

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