『ジュラシック・パークIII』は“駄作”と呼ばれた意欲作? ラプトルとグラント博士の牽引力
人気シリーズにおいて、3作目は難しい立場にある。特に、1作目が完璧なまでに美しい作品の続編というものは、それだけでハードルも上がり、比べられて“駄作”の烙印を押されてしまうことが多い。『ジュラシック・パーク』シリーズの当時の完結編とも言える『ジュラシック・パークIII』も、正直そのポジションにいる作品かもしれない。というより、このシリーズに関しては先に述べたように1作目が圧倒的だったからこそ、同じスティーヴン・スピルバーグが監督をした2作目でさえ“駄作”と言われてしまっている。興行収入面においても、それは顕著に表れてしまった。
それでも、個人的に私は『ジュラシック・パークIII』が大好きだ。これは一つ、世代というものもあるだろう。2001年に公開された本作を映画館に観に行った私は、当時6歳。叫ぶなと言われているのに叫び続ける女性キャラへの煩わしさも、少し移動するだけで地響きがすごいのに無音で博士たちの背後に忍び寄っていたスピノサウルスの「そうはならんやろ」みたいなことだって、6歳の私は気にしない。ただ最高にクールな恐竜たちに圧倒され、魅せられていた。そういった「幼少期に観たという思い入れ」は、作品の出来がどうであれ、やはり大きい。『スター・ウォーズ』のプリクエル三部作、特に『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』が好きか嫌いかという問題に似ている。これも世代によって随分意見が違うし、やはり私はプリクエルがリアルタイム世代なので、『ファントム・メナス』が好きだ。しかし、『ジュラシック・ワールド』シリーズも、『スター・ウォーズ』のシークエル三部作も好きかと聞かれると、それぞれ作品の粗に目が行ってしまう。しかし2001年の私のように、リアルタイム世代の今の子供たちにとって、それらは問題ではないのかもしれない。つまるところ、レガシー作品において新作が出るたびに過去作と比較してしまうこと、過去作への思い入れが強いあまりに新作が劣って見えてしまうことは“世代ごとにおける個人の体験”という私的要因が大いに関係する、仕方のないことなのだと思う。
『ジュラシック・パークIII』は、シリーズの中でおそらく最もスリル満点だ。元々、スピルバーグが1作目を、肉食恐竜が襲ってくるだけの恐怖描写だけでなく、草食恐竜との交流も盛り込んだことは「彼ら(恐竜)をモンスターに見せないため」という意図があった。それに対して、3作目は最初から最後まで登場人物らがノンストップで恐竜に食べられそうになる。しかし、もう前作までで描かれるべき作品のテーマは描かれているので、今作で伸び伸びとサスペンスに重きを置いてもシリーズにあまり支障をきたしていないのだ。何より、今作ではある事情によりラプトルに命を“狙われている”のだから、相当怖い。これまでのシリーズで人が恐竜に食べられること、踏み潰されて命を落とすことはあったが、それはあくまで“たまたま”目の前にいたからであって、彼らが“人間を狙う”ということは一切なかったからだ。しかも、それが1作目の“ヴィラン”とも言える知能が高いラプトルなのが、恐怖を倍増させる。
『ジュラシック・パークIII』は、このラプトル、そしてアラン・グラント博士(サム・ニール)という存在によって前作の『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』よりも『ジュラシック・パーク』の直接的な続編という印象が強い。そしてこの2つの要素が、やはり本作の最大の魅力とも言える。1作目では冒頭のシーンからとにかく「やばい」ことだけは会話の随所で語られてきたラプトルが、クライマックス付近になってようやく姿を現す。ティラノサウルスに襲われていた一行にとっての脅威がそれだけではないこと、むしろラストではラプトルこそがある意味で本当の“ヴィラン”(T-REXはそれでいえばアンチーヒーロー的な立ち位置)だったことが描かれた。しかし、2作目では草むらで人間を狩る素晴らしいシーンがありつつも、イアン・マルコム(ジェフ・ゴールドブラム)の娘が体操部に所属している、という設定を生かすためだけに、と言っても良いくらいの理由で一連のシーンで少し“間抜け”に描かれてしまったラプトル。
そんな彼らの威厳が保たれたのが、『ジュラシック・パークIII』だ。本作は最初からグラントがラプトル同士の鳴き声によるコミュニケーションに注力していることもあって、最初から最後までラプトルが話のメインになっている。そしてグラント一行の一人を半殺しにして、誰かに助けに近寄らせたところで襲おうという魂胆の罠を仕掛けるシーン含め、彼らの狡猾さ、知能の高さが全面的に描かれているのだ。何より、今作で扱われる恐竜間のコミュニケーション、そして人間とラプトル(恐竜)のコミュニケーションは後の『ジュラシック・ワールド』の核ともなっている、かなり重要な題材である。