『ラジエーションハウス』を劇場版として描いた意義 シネスコに映える“決めショット”

『ラジハ』を“劇場版”として描いた意義

 テレビドラマの劇場版は、テレビドラマの時よりもスケールアップした“映画らしい”ものであるべきか否か。2020年以降に急激に増加した「劇場版」は、『踊る大捜査線』(フジテレビ系)以降の2000年代に一大ムーブメントとなったいわゆる“THE MOVIE”作品と、テレビドラマから映画への拡張を試みているという点で共通している反面、そこに根付いているマインドは似て非なるものだと思えてならない。

 昨年の秋から『ルパンの娘』(フジテレビ系)をはじめ民放各局がさまざまな「劇場版」を作り、それらの公開の際に触れてきたことの繰り返しのようになってしまうわけだが、もはや“テレビ”が日常に欠かせないものでも、“映画”が特別なものでもなくなってしまった現在において、この両者の共存・共闘関係をまざまざと担う「劇場版」は、新たな意義を持たされることになったといえる。それは作品の規模を大きくしていくかつてのような方法論ではなく、テレビで観ていたお馴染みの光景を映画館のスクリーンに持ち込み、安心感を生むこと。確かに、一時的に映画館から遠のいていた人々を引き戻す上では、まるっきり効果のない方法論とは言い難いものがある。

劇場版ラジエーションハウス

 だからといってテレビドラマとそっくりそのままというわけにもいかないのが難点である。テレビで放送するような2時間スペシャルよりもいくらか長い上映時間に、無理なく引き延ばすだけのストーリーがあり、アクションでもサスペンスでも感動でも、そうした大きなスクリーンを前に大勢で共有するだけの価値、つまり無料のテレビと有料の映画の差異化を図ることはどうしたって必要になってしまう。そういった意味では4月に公開された『チェリまほ THE MOVIE ~30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい~』くらい、盛り上がりを見せたドラマ版の完全な延長線上の物語に大団円を用意して作品ファンが一緒になって時間空間を共有することを叶える作品こそ、「劇場版」の成功例といえるのかもしれない。

 2019年にドラマ版の第1期が放送され、2021年10月期から第2期が放送された月9ドラマ『ラジエーションハウス』(フジテレビ系)は、窪田正孝演じる医師免許を持ちながらも初恋の相手との約束を守って放射線技師として働く主人公の五十嵐唯織を中心に、彼が勤める甘春総合病院の“ラジエーションハウス”の技師たちや周囲の医師たちを描いた物語だ。医療ドラマらしくさまざまな患者の病を“撮影”を通して見つけ出していく様を単発のエピソードで描きながら、そこにキャラクターたちの人間関係や成長を、きちんと連続性を持たせて描いていく。

劇場版ラジエーションハウス

 非常に王道に則った作りをしたドラマである以上、その「劇場版」となれば同じ鈴木雅之組が手掛け成功を収めた『HERO』(フジテレビ系)のようにあまりにも大きな事件に直面して突破していく様を見せる方法、はたまた同じ医療群像ドラマである『コード・ブルー -ドクター・ヘリ緊急救命-』(フジテレビ系)のように登場人物たちの物語にひとつの帰結点を定める方法と、作り方のバリエーションは無限に存在している。しかしいざ観てみれば、想像以上に“いつも通り”であった点には驚かされた。次から次へとさまざまな困難が押し寄せながらも、それを段取り良く解決していく登場人物たち。そしてドラマ第1期から引き伸ばしてきた唯織(窪田正孝)と杏(本田翼)の関係には確かな進展を予感させながらも、あくまでも一歩進んだだけで物語を収めてしまう。

 物語自体がドラマ2期の延長線上、つまり杏がワシントンに留学することを決め、その出発までの数日間が描写されていくわけだが、あえてこれをドラマスペシャルで(第1期の最終回後には「特別編」として2時間スペシャルが放送されたわけだが、第2期の際にはアフターストーリー的な1時間のエピソードにとどめられていた)見せなかったのはなぜなのかと考えずにはいられない。たしかに病院を舞台にした立て篭もりも、離島で起こる原因不明の感染症という一つ一つのトピックは広げていけばそれだけで一本の映画が完成しうるものだ。あくまでもそれらは単発のトピックではなく、根は同じところで繋がっていると考えれば合点がいく。“テーマ”と“見せ方”。この2点に、『劇場版ラジエーションハウス』の意義が集約していたといえよう。

劇場版ラジエーションハウス

 劇中の最初のトピックとして描かれる、飲酒運転者の引き起こした事故に巻き込まれた夫婦のエピソード。出産を間近に控えた妻が危険な状態に陥るが、運び込まれた甘春総合病院では救助できる可能性が高い事故加害者の治療が優先されてしまう。そして夫は妻を救うよう要求し病院に立て篭もるのである。ここで取り上げられる“命の選別”、誰を優先して助けるのかという課題は、2020年以降のコロナ禍での医療現場の逼迫状況下において極めて大きなテーマとして取り沙汰されたものである。

 そして連続して描かれた、杏の父親が暮らしていた離島で起きる原因不明の感染症。台風によって土砂崩れが発生し、現場にすぐに向かえない状況のなか1人で奔走する杏を助けるため、病院を辞める覚悟を持って島へと向かうラジエーションハウスのメンバーたち。こうした状況は、島しょ部に限らず災害大国である日本ではさまざまなケースで起こりうる事態であり、さらにそこに割とセンシティブな“原因不明の感染症”という脅威をもって描写していく。ここでもまた、医療の供給が立ち行かなくなることで、さらなる犠牲が広がってしまうことへの危惧が描かれるわけだ。

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