黒島結菜が背負う主人公としての『ちむどんどん』 “四分割”の物語は成功となるか
『ちむどんどん』の難しいところは、主人公が本来背負う部分を分散させたことによって、一本太い背骨がないように感じることだ。時として、良子の貧しさへの悔しさと歌子のかなわない恋や音楽への想いのほうについ共感がもっていかれてしまう。さらに歌子にいたっては、片桐はいり演じる下地響子先生という強力な人物が現れたことで、歌子と先生の場面にどうしたって“ちむどんどん”してしまうのである。片桐はいりは独得の個性で異彩を放つが、相手役の芝居を受けて良さを増幅させる助演の力も高い俳優なので、これまでの朝ドラでも『あまちゃん』ののん(当時、能年玲奈)、『とと姉ちゃん』の高畑充希を盛り上げてきた。本来、主人公と組ませるべき俳優だが、「ちむどんんどん」ではそうしない。なぜか。
黒島結菜がそれだけ信頼されているからだろう。上白石萌歌が信頼されていないという意味ではない。あくまで黒島が主演であるという観点からの話である。黒島は主演として、たったひとりでもおもしろさも叙情性も引き受けることのできる俳優として期待がかけられているのだろう。実際、走るときののびやかさや強さ、「ちむどんどんする~」と言うときの無邪気さ、「この村も沖縄も自分が女であることも大嫌い」と潤ませた瞳、自分は何がしたいのかわからず畑で芋を持ったまま立ち尽くす姿、シークワーサーをかじったときのシズル感など、身体から感情がほとばしっていて、見入ってしまう。それだけで十分な逸材として、主人公の見せ場が兄妹に分散していてもしっかり主人公として立ち続けないといけない、ひじょうに難易度の高い役割である。
暢子が背負っているものは実はもっと大きい。「この村も沖縄も女で生まれた自分も大嫌い」という衝撃ワードは、おそらく、沖縄が、アメリカと日本との間で揺らいでいることと重ねているだろう。女のくせに男に対抗するなんてと文句を言われ、女だから男を立てろと求められ、どっちにしても存在を認められない。暢子が男の子に徒競走で負けたことと、沖縄がアメリカ統治下から日本に返還される時代の代わり目が重なって見える。
価値観が揺らぐ暢子と沖縄。でも、父・賢三が暢子のままでいいと思って遺言を残さなかったように、母・優子(仲間由紀恵)が「大嫌いな自分も大事な自分だからね」と言うように、暢子は暢子であること、祖国は祖国であることを誇りに思って生き続けること。それが『ちむどんどん』なのだ。
■放送情報
連続テレビ小説『ちむどんどん』
総合:午前8:00〜8:15、(再放送)12:45〜13:00
BSプレミアム・BS4K:7:30〜7:45、(再放送)11:00 〜11:15
※土曜は1週間を振り返り
主演:黒島結菜
作:羽原大介
語り:ジョン・カビラ
沖縄ことば指導:藤木勇人
フードコーディネート:吉岡秀治、吉岡知子
制作統括:小林大児、藤並英樹
プロデューサー:松田恭典
展開プロデューサー:川口俊介
演出:木村隆文、松園武大、中野亮平ほか
写真提供=NHK