『鎌倉殿の13人』北条時政・義時親子の実像 本郷和人の新書を元に紐解く

『鎌倉殿の13人』北条時政・義時親子の実像

 一方、文献などで語られている時政像は少々異なる。北条氏は頼朝が挙兵したときでも武士を数十人しか集められなかったように、それほど力のある一族ではなかったが、時政には当時の武士にはない特殊な能力があった。それが「読み書き」である。当時の武士は読み書きがほとんどできなかったが、時政は漢字を使ってしっかりした文章を書くことができた。

 頼朝は武士による政権である鎌倉幕府を樹立するが、武力で京都を支配しようとしなかった。むしろ、京都の朝廷との折り合いを大事にして、文官(武力以外の仕事を行う官吏)を重用したという。時政が鎌倉幕府で頼朝に任されたのは、朝廷との交渉という大仕事であり、時政は首尾よくまとめあげてみせた。鎌倉幕府で生まれた制度として学校の授業で習う「守護・地頭の設置」の許可を朝廷から与えられたのも時政である。読み書きのできない荒くれ者の集まりだった坂東武士たちの中で、頼朝とともに文官の大事さを感じていたのは時政だったと考えられる。

 とはいえ、青白いインテリだったわけでもなく、武士らしい豪胆さもあった。ドラマでは伊東祐親が留守中に頼朝と娘の八重(ドラマでは新垣結衣)が結ばれたのを知って激怒する場面があったが、実は時政も自分が留守中に頼朝が政子と結ばれたことを知って激怒していたという。政子は自ら時政を説き伏せて結婚を認めさせるのだが(すごい)、時政はこのとき、頼朝にすべてを賭けて大勝負に出たと考えることができる。

 頼朝の死後に発足した「十三人の合議制」(つまり、「鎌倉殿の13人」)には、4人の文官が含まれていたが、この人選も時政がリードしていた。さらに時政は謀略をめぐらせて13人の中のライバルを追い落とし、ついには鎌倉幕府の実権を握るが、後継者をめぐって義時と対立し、やがて追放されてしまう。ドラマでも、この後、交渉上手でキレキレでブラックな時政が描かれるのかもしれない。

 一方、ドラマの中で描かれている義時は、文献などで語られているイメージと近い。義時が若い頃から頼朝に可愛がられていたのはドラマと同じ。頼朝と亀(ドラマでは江口のりこ)の関係を知って激怒した政子の肩を持って頼朝と不仲になった時政とは異なり、義時は常に頼朝からの信頼を大事にしており、頼朝に大いに褒められたという。

 頼朝の死後、時政の陰謀によって清廉潔白な武士として知られる畠山重忠(ドラマでは中川大志)が討たれるときは、重忠との友情を重んじてギリギリまで時政を止めようとしていた。結局、義時も畠山討伐の軍に加わるが、重忠が討たれた後、武士たちの不満を感じて時政を追放してしまう。その一方で、畠山重忠に息子がいたことがわかると、反乱の芽を摘むために殺してしまう冷徹さも持っていた。

 東京大学史料編纂所教授の本郷和人氏は、義時の行動パターンを「1.まず敵対行動をためらう。2.周りに促されて、逡巡の末に立ち上がる。3.敵を討ったあとは徹底的に処理する」と分析している。これは、後に後鳥羽上皇(ドラマでは尾上松也)と対立する承久の乱でも同じである。特に1と2の部分は、これまでドラマで描かれてきた義時像とイメージが近い。まわりの声に耳を傾け、ためらいながらも行動を起こし、やるとなったら徹底的にやるというのが義時なのだ。

参考

本郷和人『北条氏の時代』(文春新書)、本郷和人『鎌倉殿と13人の合議制』(河出新書)

※記事初出時、本文に誤りがありました。以下訂正の上お詫び申し上げます。(2022年3月19日4時)

誤:この北条義時、命にかえても頼朝を守ってみせる!
正:この北条時政、命にかえても頼朝を守ってみせる!

誤:山木の後見人・堤信遠(吉見一豊)に野菜を踏み潰されて
正:山木の後見人・堤信遠(吉見一豊)に踏み潰されて

誤:義朝も畠山討伐の軍に加わるが
正:義時も畠山討伐の軍に加わるが

■放送情報
『鎌倉殿の13人』
NHK総合にて、毎週日曜20:00~放送
BSプレミアム、BS4Kにて、毎週日曜18:00~放送
主演:小栗旬
脚本:三谷幸喜
制作統括:清水拓哉、尾崎裕和
演出:吉田照幸、末永創、保坂慶太、安藤大佑
プロデューサー:長谷知記、大越大士、吉岡和彦、川口俊介
写真提供=NHK

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