『なん・なんだ』には人生の真実が詰まっている 役者たちの“生々しさ”にも注目
『ファミリー・ツリー』『ドライブ・マイ・カー』など、“妻が浮気していた”が物語の軸になっている映画は数多くある。もちろんそれぞれに描かれ方は違うのだが、このテーマが人々を惹きつける(または嫌悪感を与える)のは、そこに他人事ではない何か、生きていくうえで避けては通れない何かがあるからだろう。1月15日から公開される映画『なん・なんだ』を観て、そのことを改めて実感させられてしまった。
『なん・なんだ』の監督は、前作『テイクオーバーゾーン』が第32回東京国際映画祭(2019年)の日本映画スプラッシュ部門に出品され、高評価を得た山嵜晋平。10年ほど前、ロケハンで訪れた団地で自殺しようとしていた年配の男性を止めた経験から、“年老いた人間の残された時間の生き方について描きたい”と考えるようになったのが本作のとば口だったという。その着想を発展させ、夫婦として歩んできた40年を遡る物語に結びつけたのが、『さよなら歌舞伎町』『闇金ぐれんたい』などで知られる脚本家の中野太。プロデューサーは、『戦争と一人の女』『子どもたちをよろしく』などを手がけた寺脇研が務めた。
映画の主人公は、結婚して40年になる三郎(下元史朗)と美智子(烏丸せつこ)。三郎は大工を引退し、関西の古びた集合団地で老後の日々を送っている。夏のある日、美智子は「文学教室に行く」と外出。三郎は美智子に届け物を頼まれていたが、誰に届けるのかを失念してしまい、一人ビールを飲みながら妻の帰りを待っていた。すると携帯電話に京都府警から電話が。美智子が京都でひき逃げに遭い、意識不明だという。「なぜ京都に?」と疑問を抱きながら病院に急ぐが、美智子はなかなか意識が戻らない。妻の荷物には古いアルバムとカメラが入っていて、残されていたフィルムを現像すると、そこには知らない男が映っていた。まさか美智子は浮気をしていたのか? 不安や怒りを覚えながら、三郎は美智子の実家がある奈良に向かい、一人娘の知美(和田光沙)とともに浮気相手を探し始めるーーというのが本作のストーリーだ。
40年近く連れ添った妻が、長い間、他の男と逢瀬を重ねていた。三郎はその事実を受け入れることができず、みっともないほどうろたえ、人に当たり散らしてしまう。妻に「年寄りが厚化粧するとみっともないぞ」と嫌味を言い、「俺が食わしてやってきたんだ」と旧態依然とした結婚観しか持てない三郎は、“自分の知らない美智子の顔がある”ということに耐えられないのだろう。
一方、娘の知美は「私、お母さんの気持ちもわかるよ」「お父さんも良くない」と事態を冷静に受け止め、美智子を良く思っていない叔母に「家族ってそんなものでしょうか」と言い放つ、しっかりした性格の女性。しかし彼女もまた、夫との関係に悩み、人には言えない秘密を持っている。つまり、この映画に登場する人々は、夫婦、親子でありながら、もっとも近しい人に対して、絶対に口にできない事情を抱えながら生きてきたのだ。
たとえ家族であっても、すべてを知っているわけではないーー考えてみれば、当たり前の話だ。人間は常に一定ではなく、置かれた環境や対する人によって少しずつ変化する。たとえば上司といるとき、学生時代の友人といるとき、そして、家族といるときによって、態度や口調が変わるのは当然のことだろう。
ところが、親子や夫婦になると、“人には複数の顔がある”ということを認めることが難しくなる。妻や夫に対して、「この人も他のところにいくと、違う表情があるんだよな」と認識し、それをすべて認めることができる人は稀だろう。その隔たりがもっとも顕著に出てしまうのが、“妻の浮気”であり、本作『なん・なんだ』の主題なのだと思う。