映画『99.9』はこれまでにない“劇場版”に エンタメ性と作家性を見事に両立

映画『99.9』はこれまでにない“劇場版”

 “悪魔の証明”という言葉がある。一見すると、さも邪悪でファンタジックな何かを示す言葉のように見えるが決してそうではない。悪魔が存在しないというのであれば、その証拠を明示せよ。つまり“やったこと”や、“あること”という積極的な根拠を証明するのではなく、“やっていないこと”や“いないこと”といった消極的な証明が要求されることを意味する言葉だ。

 ごく一般的なミステリードラマを例に挙げれば、疑わしい登場人物が何らかの罪を犯したか否かで展開するのが起承転結における“承”の部分のオーソドックスなパターンである。その人物が事件発生時に他のアリバイがあることが証明された時、たしかにそれは“やっていない”ことを示すことにはなるが、その裏側には確実に別の“やったこと”が存在してしまう。おそらく“犯人探し”をする立場である探偵も刑事も、その人物が同時刻に他のことを“やったこと”を証明することに躍起になるのであろう。結果的に真犯人なる者が現れた時に、ようやくその疑わしい人物の“やっていない”が自動的に確約されるに過ぎない。

 しかしこれが、その疑わしい人物からの依頼によって動く弁護士を主人公にした物語であったらどうなるのか。『99.9-刑事専門弁護士-』(TBS系)は、テレビドラマのシーズン1が放送されたばかりの頃は、「依頼人の利益よりも事実の追求」をモットーにした弁護士の活躍を描くという基本設定があることをいいことに、法廷の場で真犯人を名指しすることで依頼人の無実を証明するという安直なミステリードラマの系譜を辿ってしまっていた。端的に言って、これでは弁護士を描く意味がないのではないかと危惧せずにはいられなかった。ところが回を重ねるごとに、その態様はがらりと変わっていくのである。

 松本潤演じる主人公・深山大翔の父が無実の罪で逮捕・起訴され獄中死を遂げた過去に触れていきながら、司法制度の最大の問題点である“冤罪”というテーマへと踏み込んでいく。そして2年半を経てシーズン2が始まると、その序盤で早速深山の過去にひとつのピリオドが打たれ、26年前の事件が洗い直されることで罪人のまま命を落とした父の無実が証明される。ここでこのドラマが初期の頃とまるで違うものになったと言えるのは、事実とは“真犯人が誰か”という簡潔なアンサーではなく、事件のバックグラウンドに何があり、なぜ無実の人間が裁かれてしまったのかというより包括的なものであると明確に示されたからだ。それは中盤に展開する弁護士と裁判官の対峙も然り、そして最終話で描かれる再審請求の一連も然り。“悪魔の証明”を成立させていくさまを従順に描くことが、このドラマのストーリーの根幹でしっかりと機能するようになり、それがリーガルドラマとしての風格を与えたといってもよい。

 そういった意味では『99.9-刑事専門弁護士-THE MOVIE』の冒頭で描かれる漁師同士の諍いをめぐる事件の目撃証言を覆すための検証シーンは、この作品がどのような方法論を持って事件と向き合うのかを示すもっともわかりやすいケースといえよう。証人の目撃証言が正しいのかどうか、事件を目撃した当日の証人の行動を遠方まで出向いて再現し、実現不可能であると証明することで証言が虚偽である=目撃“していない”ことだけを導きだす。もっともこれはシーズン1の第1話の冒頭、ある事件の被告人の自宅から現場までの所要時間を計測し、検察が提示した証拠の時間では実現不可能であることを明らかにしたやり方と同じであり、その点では初めから一貫した方法論が守られているともいえる。ここでもまた、真犯人の存在が明らかになるとはいえ、さらりと流すようにして物語の本筋へと移すわけで、もはやそれが主たるテーマではないということを示すのである。

 さて、ようやく本題に入るわけだが、この『99.9-刑事専門弁護士-THE MOVIE』は、もちろんここ最近ふたたびのブームとなりつつあるテレビドラマの劇場版化の波に乗ったひとつといえるだろう。しかしながら、仮にテレビドラマシリーズを追っていたとしても、公開前夜に放送されたSP版を観なければ話が成立しないという、スピンオフ配信ドラマありきで進められた『あなたの番です 劇場版』と同じような厄介な作りをしているのである。いわばこれは、テレビシリーズの明確な続編エピソードとして作られたスペシャルシーズンの前後編で、前編をテレビで、後編を劇場で見せるといった印象だ。



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