テラシマユウカの「映画の話しかしてなかった」
テラシマユウカ、瀬々敬久監督と語り合う 『護られなかった者たちへ』から学ぶべきこと
映画を愛してやまないPARADISES(パラダイセズ)のテラシマユウカの連載企画「映画の話しかしてなかった」。本企画では、大の映画好きを公言してやまないテラシマユウカが、毎回ゲストを招いて、ただただ映画について語り合う。
第4回目となる今回のゲストは、映画『護られなかった者たちへ』が公開中の瀬々敬久監督。瀬々監督が映画作家を志すきっかけから、本作に込められたメッセージ、映画館だからこそ味わえる映画の魅力まで語り合った。
「大変なことがあっても、決してそれで終わりではない」
ーーテラシマさんは『護られなかった者たちへ』をどのようにご覧になりましたか?
テラシマユウカ(以下、テラシマ):最近ニュースになっていたこともあり、生活保護について考えていたタイミングで本作を観たんです。学校で習った“健康で文化的な最低限度の生活”という文章自体は知っていても、それが何を意味するかまではあまり意識したことがないなと。だから、『護られなかった者たちへ』は自分にとってもタイムリーな題材でした。また、東日本大震災が起こったときは大阪にいたのであまりその現状を知らなかったんですが、この映画を通してすごく身近に感じられました。コロナ禍でも改めて思ったことですが、自分もそういう未曾有の大事態に直面する可能性があるし、そうなったときに、人と人とのつながりや正義のあり方を考えさせられました。
瀬々敬久監督(以下、瀬々):テラシマさんがおっしゃるように、今のこのコロナ禍の状況と3.11の出来事は、みんながすごく生きづらい状態に置かれているという意味で共通項が感じられます。だから、生活保護を受けている方って他人事ではないというか。僕の周りの俳優をやっている友人でも実際に生活保護を受けている方はいらっしゃいますし。
テラシマ:そうですよね。やっぱり自分にとってコロナ禍はそういう厳しいリアリティを感じるきっかけになりました。私みたいに震災を経験していない同世代の方でも、そういう人は多いように感じます。
瀬々:コロナ禍に至っては、「自分の身は自分で守ってください」という風潮になっているじゃないですか。罹ったときにどうすれば最善なのか、まるで分からない。テラシマさんはご自身が危機を感じた瞬間はありますか?
テラシマ:私はこの仕事を始めるにあたって所属した最初のグループが1日で解散したことがあって、それは本当に人生の危機だなと思いました(笑)。「もう人生、終わったな」と思ったんですけど、でも意外と終わりじゃなかったです(笑)。
瀬々:そう、意外と終わりじゃないんですよ! それはすごく大事なことですね(笑)。この映画でも込めたメッセージです。大変なことがあっても、決してそれで終わりではない。
テラシマ:自分も解散が決まったときに、人の愛に触れて、人のつながりの大切さをすごく学んだので。
瀬々:めちゃくちゃいい子や(笑)。おっしゃる通りです(笑)。
ーー瀬々監督ご自身では、今まで作られてきた作品から本作への作風の変化は感じますか?
瀬々:変わるものもあるし、変わらないものもあるというとそれまでなんですが、1番最初に映画を作りたいと思った時の初期衝動というか若い頃の気持ちだけは変えずにやり続けたいと思っていますね。
テラシマ:監督が映画を撮り始めるきっかけはなんだったんですか?
瀬々:僕が高校生のときは1970年代の終わり頃だったんですが、石井聰亙(岳龍)さんや大森一樹さんらが自主制作映画を作っていてムーブメントのようになっていたんですよ。彼らがまだ大学生のときに話題になっていたから、当時の自分のような若い高校生は「昨日まで普通に暮らしていた人がいきなり映画監督になれる時代がやってきたんだ、若い世代でも世の中を変えられるんじゃないか」と興奮するわけです。そういう人たちに憧れて映画を作りたいと思ったのが、最初の動機みたいなものかもしれません。