小松菜奈は川のような俳優である 初単独主演作に相応しい『ムーンライト・シャドウ』

小松菜奈は「川」のような俳優である

 スクリーンに映し出された小松菜奈を見ていると、どうにも胸騒ぎがしてくる。大映しにされた彼女の顔と暗闇のなかで対峙していると、いつしか不安や焦燥が胸のうちに生じ、あっという間にそれでいっぱいになる。かといってそれは、ネガティブな意味合いのものばかりではない。分かりやすく表現するならば、“観客にスリルを与えている”のだともいえるだろう。小松がスクリーンに姿を見せると、それがどんなタイプの作品のどんなシーンであれ、たちまち観客にとってはスリリングな映画体験へとなるのだ。

 そんな“映画俳優”の小松が、満を持して単独初主演を務めた。『ムーンライト・シャドウ』である。「川/水」が重要なモチーフとなっている本作を観ていて、ハッと気がついた。小松菜奈とは、川の水のような俳優なのだ。

 本作は、ひとりの女性の“前進”していく姿が描かれているもの。最愛の恋人・等(宮沢氷魚)を亡くし、大きな喪失感を抱える主人公・さつき(小松菜奈)は、“死者ともう一度会えるかもしれない”という「月影現象」を知る。そうして彼女はある月夜、その「月影現象」で等と再会を果たすため、彼とよく一緒に過ごした川へと向かうーーというのがあらすじだ。吉本ばななによる同名短編小説を原作に、『アケラットーロヒンギャの祈り』(2017年)や『Malu 夢路』(2020年)などのエドモンド・ヨウ監督が実写化した。ちょうど50ページほどの小説が、92分の映画作品に仕上げられている。そこで物語に膨らみと奥深さを与えているのが、「川/水」の存在だ。原作にも登場するこれらが、よりモチーフとして強調されている。

 これが小松にとって、初の単独主演作だというのが意外である。『渇き。』(2014年)での本格的なデビュー以来、出演作が途絶えることなく、つねに作品の中心に彼女は立ってきた。『溺れるナイフ』(2016年)、『恋は雨上がりのように』(2018年)、『さよならくちびる』(2019年)、『糸』(2020年)が“ダブル主演作”なのは承知していたが、『近キョリ恋愛』(2014年)と『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』(2016年)がそうでなかったのもまた意外。主人公とされるキャラクターと対等な立場にある役どころを演じていたからだ。これは何も役の設定の話だけではない。スクリーン内における小松の存在が、やはり主役と拮抗していたからなのだろう。

 とくに近年は、小松の存在に頼る部分が大きな作品に立て続けに出演していたことも、“初の単独主演”という事実に意外性をもたらしていると思う。一般的に「ミステリアス」とも称される彼女特有の佇まいは、ある種の群像劇である『閉鎖病棟 ―それぞれの朝―』(2019年)や『さくら』(2020年)などにもなくてはならないものだったのだろう。そしてこの作品の並びからして明らかだが、いずれの作品を観ても、彼女が特定のジャンルやキャラクターに縛られていない俳優だというのが分かる。とにかく、あらゆる作り手にとって小松菜奈とは特別な存在なのだという印象だ。

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