『浜の朝日の嘘つきどもと』“場”の大切さを訴える 高畑充希たちの奮闘が意味すること

場への愛あふれる『浜の朝日の嘘つきどもと』

 パンデミックという、世界を襲った未曾有の事態によって、次々と失われていくかけがえのないものたち。そのうちのひとつに、「場」というものがある。さまざまな制限によって、あらゆる「場」が存続の危機に見舞われている。人々がひとつの空間に集まり、スクリーンに映し出されるものを一様に見つめる映画館もそのひとつだ。高畑充希が主演を務めた映画『浜の朝日の嘘つきどもと』は、この「場」の大切さを訴えた、あたたかな作品である。

 本作は、福島中央テレビ開局50周年記念として製作され、昨年10月に放送された同名テレビドラマのプリクエル作品にあたるもの。『百万円と苦虫女』(2008年)や『ロマンスドール』(2020年)のタナダユキ監督によるオリジナル作品だ。福島・南相馬に実在する映画館「朝日座」を舞台に、この映画館の存続のため奮闘する女性と周囲の人々の交流を描き出している。

 2011年の東日本大震災から早10年。朝日座は大変な災禍に見舞われながらも、なんとかそこに在り続けてきた。しかし、今度はウイルスによる疫禍に見舞われることとなった。いよいよ存続の危機である。閉館を決意した支配人の森田保造(柳家喬太郎)は踏ん切りをつけるため、35ミリフィルムの断片を朝日座の前で燃やそうと火を点ける。そこへ、茂木莉子(高畑充希)と名乗る謎の女性が登場。彼女はある人の願いを叶えるため、「朝日座再建」にやってきたというのだ。こうして、森田の困惑をよそに、茂木莉子の奮闘の日々がはじまるーー。

 映画館で入場券の半券をもぎ取ることを“もぎる”といい、そこに立つ役職を“もぎり”と呼ぶ。“モギリコ”ーーなんとも人を食ったような名を名乗ったものだ。これがこの映画にも冠されているように、「嘘つき」の物語のはじまり。しかしこれは悪意のある嘘などではなくて、映画を、そして映画館を愛する者のユーモアだと受け取りたいところだ。なんとも愛らしい名前である。そもそも、新たな環境に飛び込んだ彼女にとって名前とは、たんなる記号でしかないのだろう。時にそれは、社会や共同体に対する個の関係性を示すものに過ぎないのだ。彼女の本名は、“浜野あさひ”である。

 本作にはこのような個人を示す名前に、ちょっとした“小ネタ(ユーモア)”が散りばめられている。たとえば、柳家喬太郎演じる森田保造の名は映画監督・増村保造から取っているのだろうし、のちのシーンで、増村が1957年に監督した『青空娘』のワンシーンが登場する(ちなみに、筆者が最も敬愛する映画監督も増村保造だ)。ほかの登場人物の名前も見てみると、茂木莉子の恩師・田中茉莉子(大久保佳代子)の名は、『浮雲』(1955年)や『秋津温泉』(1962年)などで知られる岡田茉莉子から拝借したのだろうし(ちなみに、筆者のスマホの待受画像は岡田茉莉子だ)、“巳喜男”だとか“貞雄”だとか“健二”だとかが登場するうえ、朝日座の客である松山秀子(吉行和子)の名は日本を代表する俳優のひとりの高峰秀子から取ったものなのだろう。というか、そもそも高峰の本名は松山秀子である。

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