『シャン・チー』はなぜ想像以上の成功を収めたのか 哲学的な要素と多様性のメッセージ

『シャン・チー』成功の理由を分析

 マーベル・スタジオの新たなヒーロー映画『シャン・チー/テン・リングスの伝説』が、とくにアメリカで、当初の予想を超えるヒットを記録している。マーベル・コミックのカンフー・ヒーロー作品を原作とした本作の特徴は、アジア系に占められたキャスト陣とスタッフ、そして中国文化を中心に置いたストーリーだ。この新しい試みが想像以上の成功を収めた理由は、いったい何だったのだろうか。

 近年、作品によって多様性を強調するメッセージを打ち出すことの多くなったアメリカ映画界において、その第一線にあるといえるのが、ディズニーであり、マーベル・スタジオであろう。これらの作品が目立つのは、莫大な製作費をかけた娯楽大作のなかで、そういったメッセージを色濃く発信しているという点だ。アフリカ系のキャストで固められた、これまでに類を見なかった超大作『ブラックパンサー』(2018年)が大きな成功を収めたように、常識を打ち破る試みが、むしろ支持やブームの醸成に結びついているのが、いまの傾向なのだ。

 本作『シャン・チー/テン・リングスの伝説』の公開は、その意味においてマーベル・スタジオとしては当然通るべき道であったといえよう。また、同じくアジア系キャストによるハリウッド映画『クレイジー・リッチ!』(2018年)の興行的な成功も、本作の企画が成立する大きな要因となったはずである。

 主人公シャン・チーを演じるのは、『パシフィック・リム』(2013年)にエキストラとして出演したことで映画の世界に魅了され、2018年にTwitterで本作に出演したいという希望をマーベル・スタジオに投げかけたことをきっかけに、主演の座を勝ち取ったシム・リウ。妹役を演じたメンガー・チャンも、ハリウッド映画では無名の存在である。その周りを固めるのは、もはやアジア系が活躍する最近のハリウッド映画ほとんどに出演しているんじゃないかと思えるオークワフィナ、そしてコメディアンのロニー・チェン、さらにはトニー・レオン、ミシェル・ヨーなど香港のスター俳優が加わる。まさに東洋をルーツに持つキャスト陣の集結である。

 なかでもトニー・レオンはアジア圏で長年に渡り観客を魅了する超人気俳優であり、世界的な映画祭で賞を受賞し、アメリカ映画にも出演経験がありながら、本作によって初めて彼を認識し、そのスター性に圧倒されたというアメリカの観客は少なくないようだ。おそらく、本作をきっかけに彼へのアメリカ映画のオファーは増えるだろうが、アメリカにおいては彼のこれまでのキャリアよりも一本の注目作に出演したことの方がインパクトがあるというのは、皮肉なことだ。

 以前、『キネマ旬報』の取材で、オークワフィナ主演映画『フェアウェル』のルル・ワン監督にインタビューしたことがある。そのときに監督は、アジア系を主人公にした作品がアメリカで注目を浴びていることについて、「これまで存在を知らなかったストーリーがあるということに、多くの人が気付き始めているのではないでしょうか」と答えてくれた。その状況は物語や文化のみならず、俳優やスタッフも同じだろう。

 もちろん、日本の早川雪洲や渡辺謙、香港のブルース・リー、ジャッキー・チェンなど、アメリカで人気を誇った俳優はこれまで何人も存在する。しかし、それは東洋の映画界の上澄みを掬った、限られたごく一部の存在に過ぎない。これまで目を向けられず、“存在しないもの”とされてきた世界にカメラが向けられたことで、初めて人々は注意を払い、その魅力に気づき始めるのである。本作で、中国の秘境に隠されたター・ロー村に足を踏み入れるファンタジックな描写は、その事実を象徴しているかのようである。

 それだけではない。本作の前半で、走行するバスを使ったスタントアクションやカンフー、高層ビルに設置された竹の足組みを使ったアクションに加え、中国の裏社会を描く内容、そして古い時代の騎馬での戦いが描かれるように、本作には香港を中心とした映画の“レガシー”といえるような数々の要素を意識的に反映させてあるのである。

 日本の映画ファンであっても、香港映画をほとんど知らないという観客は、近年多くなってきているだろう。ましてやアメリカで香港映画を楽しんでいるファンは、さらに限られてくる。本作はその意味で、多くの人々に向けて香港の娯楽映画の“美味しい部分”を紹介するものになっているといえる。そしてその魅力は、初めて味わう観客ほど強いインパクトを感じるはずである。莫大な製作費を得て、ハリウッドの伝統と香港映画の伝統がバランス良く配合される。面白くならないわけがないだろう。

 ター・ロー村における超自然的な武術では、キン・フー監督に代表される香港のチャンバラ時代劇である「武侠映画」のニュアンスが出てくる部分もある。まさに香港映画の総動員といえるが、それはトニー・レオンが演じる、“力の武術”によって地位を高めてきたウェンウーと対をなす、自分以外の力を利用しながら戦う“技の武術”として表現される。その動きは武侠的であり、同時に「太極拳」の静かな動きを連想させるものだ。また、それが女性のキャラクターによってマスターされたものであることは、とくに印象深い。

 香港・中国映画『イップ・マン 葉問』シリーズで、実在の拳法家イップ・マンを演じたドニー・イェンが駆使したことで、近年再び中国拳法「詠春拳」が脚光を浴びた。その舞のように華麗でスピーディーなスタイルは、イップ・マンからブルース・リーに受け継がれ、映画のなかで披露されることで、そのクールな動きは世界中でブームとなり、ハリウッドでも大きな人気を得ることになった。伝説上では、その詠春拳の開祖は女性とされている。

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