香港映画マインドに溢れた『シャン・チー』 功夫映画的な物語構造と成長譚としての魅力

香港映画マインドに溢れた『シャン・チー』

 何千年も前から存在し、歴史を影から操っていた悪の組織「テン・リングス」の首領・シュー・ウェンウー(トニー・レオン)は、妻を亡くし、息子と娘に家出される。そして家出した息子のシャン・チー(シム・リウ)はアメリカに渡り、ホテルの駐車係として高校時代からの女友達ケイティ(オークワフィナ)と楽しくやっていたが、ある日いきなり殺し屋軍団の襲撃を受ける。シャン・チーの怒りの鉄拳が炸裂し、殺し屋軍団を退けることに成功するが、大概のことは笑って許してくれるケイティも、この襲撃にはビックリ。「あんた何者なんだよ!」と、ごもっともなツッコミを入れ、シャン・チーは己のルーツを語り始めた。「実は俺、悪の組織の首領の息子で、あらゆる暗殺術を叩き込まれた超人なんだ」。ケイティはさらにビックリするが、とはいえ親友は親友。2人はとりあえず、シャン・チーの妹がいるマカオへ飛ぶのだが、そこから想像を絶する旅が始まって……。

 『シャン・チー/テン・リングスの伝説』(2021年)は、キャラが立っていて、アクションは迫力があり、ユーモアを随所に挟み、最後にはホロっと来る。しかし決して感傷的なまま終わらず、笑ってエンドロールを迎えると、定番となったオマケ映像によって、これからのユニバース全体の広がりを期待させ……まさにMCU映画として完璧だ。そして単体の映画として観たときも、この作品は完成度が高い功夫(カンフー)映画として楽しめるだろう。

 この映画は間違いなく功夫映画だ。腕に覚えのある主人公が活躍するが、強敵を前に無力を痛感し、修行によって己と向き合い、やがて真の強さと高潔な精神を身に着けた「達人」=「ヒーロー」へと成長する……本作は極めて功夫映画的な物語構造だ。ただし、この強敵が「家族問題」や「暴力の連鎖」といった実態のない概念であることが、本作をシャン・チーの成長譚としてドラマティックにしている。この映画のヴィラン(悪役)はトニー・レオン演じるウェンウーだが、彼は決して根っからの悪人ではない。正しく生きようとしたが、ある悲劇によって、悪に染まってしまう。ひらたくいうと『北斗の拳』的な、「愛ゆえに」悪に染まり、暴力の連鎖へ落ちていったキャラクターだ。シャン・チーにとっての勝利とは、ウェンウーを暴力で制圧することではなく、ウェンウーの善性を呼び戻し、暴力の連鎖を断ち切ることになる。

 「暴力の連鎖を断ち切る」……ともすれば深刻&地味になりそうなテーマを扱っているが、この映画の作り手たちは香港映画魂をもって、エンタメに徹している。シャン・チーの部屋に堂々と貼られた『カンフー・ハッスル』(2005年)のポスター、そして同作に出演しているユン・ワーが普通に脇役として出てくるのも、往年の「多少の矛盾はさておき、観客が見たいものを見せるのが正義じゃい!」といった香港エンタメ宣言に他ならない。奥深いテーマを語るのは、落ち着いた会話劇ではなく、キレ味鋭い格闘アクションだ。前半のシャン・チーは、直線的な動きを多用する。その格闘スタイルは、いわば洗練された暴力だ。そんな彼の修行相手は……香港映画の生ける伝説、ミシェル・ヨー。ここで彼女は『空手バカ一代』の陳老人よろしく、円の動き、すなわち「柔よく剛を制す」の戦い方をシャン・チーに叩き込む。力任せに敵を叩きのめすのではなく、敵の力を利用して制圧する技術だ。こうした戦い方の変化が、そのままシャン・チーの精神的な成長の描写となる。アクション映画として非常に上手い。そういえばミシェル・ヨーも同じMCU作品の『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』(2017年)に別の役で出ていたような気がするが、これは『男たちの挽歌 II』(1989年)理論だと考えよう。

 格闘シーンが非常に充実している本作だが、一方でユーモア面も負けてはない。話が深刻になりそうになった時に、絶妙なタイミングでボケてくれるのがオークワフィナだ。彼女は本作のユーモア要素を一手に引き受けている。トニー・レオンが哀しすぎるヴィランに全力投球できているのは、「オークワフィナが最後に笑いに変えてくれるから」という信頼があったからだとすら思う。それくらい本作の彼女は輝いている。

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