芸術と娯楽に求めるすべてがここに 『カラミティ』が描く、自由に生きることの素晴らしさ
フランスのアニメーション映画『カラミティ』は、本当に素晴らしい作品だ。美しくて、勇敢で、繊細で、解放的で、エキサイティングだ。芸術と娯楽に求めるあらゆる要素を、非常に高いレベルで保持している。
本作のレミ・シャイエ監督が日本で本格的に紹介されたのは、ほんの数年前のことだ。『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』がTAAF(東京アニメアワードフェスティバル)にてアニメーション関係者にこぞって絶賛され、一般公開にこぎつけると多くのアニメーションファンを虜にした。しかし、この監督の才能は、もっと広く愛されるべきである。古典的な手に汗握る冒険活劇と、現代的な感性に彩られた彼の作品は、アニメーションについての専門知を持った人だけでなく、広い大衆を魅了する力がある。
そして、その実力を最新作『カラミティ』でもいかんなく発揮している。
本作は、西部開拓時代の伝説の女ガンマン、カラミティ・ジェーンの少女時代を描いている。数々の伝説的な人物を排出したこの時代においても、名を遺した女性は一握りにとどまる。一家の長女として生まれ、幼い兄弟の面倒を見ながら、自由に生きる夢を見た少女が、いかにして西部の歴史に名を刻む存在となったのかを、情感豊かなアニメーションで描いた冒険活劇だ。
女性としての規範を破ったカラミティ・ジェーン
カラミティ・ジェーンの本名は、マーサ・ジェーン・カナリー。カラミティとは彼女の異名で、疫病神や厄介者といった意味合いだ。数多くの荒くれ者が跋扈した西部開拓時代に、プロの斥候として活躍し、その名を残した伝説的な人物である。
旅の途中で親を亡くし、若い頃から家督を継いで、幼い兄弟たちの面倒を見てきた彼女は、様々な職業を経験し、プロの軍隊として活動したり、ワイルド・ビル・ヒコックらと行動をともにしたとも言われ、虚実を含めて数多くの逸話を残している。
波乱万丈な人生をおくり、多くの人を魅了した彼女の姿を、本作は脚色を交えて自由闊達に描き出す。史実としての彼女の真実を描くことよりも、当時の慣習を破り、自由に生きた彼女の精神性に殉じようと心がけられている。
レミ・シャイエ監督は、カラミティ・ジェーンについて「女性だから優雅でなくてはいけない、ということはない」と教えてくれる存在だと語る。西部開拓時代とは、規範を破るアウトローたちが輝いた時代だ。そんな時代に、女性としての規範を打ち破った生き方を実践したのが彼女なのだ。
映画の中のマーサは、旅団の男たちに堂々と物申す。同い年の男の子たちにバカにされれば、1人で立ち向かうほどに負けん気が強い。向上心と好奇心に溢れ、乗馬も投げ縄も独力でマスターしてみせる。それでいて、幼い兄弟や旅団の少女たちの面倒を見る優しさを持ち合わせる。実際のマーサも女性であることを誇りに思っていたらしいが、本作でもそのような勇敢さと優しさを併せ持つようなキャラクターとして描かれていて、多くの人の共感を集めるだろう。
絵画のような美しいアニメーション
シャイエ監督の作品は、輪郭線のない特徴的なドローイングが魅力だ。色彩感覚も優れ、風景とキャラクターが一体になった絵画のような美しいカットが満載である。前作では、北極圏の硬い色合いを重視したのに比べ、今回は険しい山道に緑の草原、茶色い鉱山から青い川に荒涼とした砂漠など、マーサの冒険を様々なアメリカの自然とともに見せてくれる。
シャイエ監督と色彩監督のパトリス・スオウは、ゴーギャンなどにインスピレーションを受けたそうで、彩色によって光を感じさせる色使いを追求している。青空はただ青いだけではないし、白い雲もただの白ではなく、太陽の光を受けて黄色くなっている部分もある。草原の緑も、時に緑よりも黒に近い色で表現されることもある。絵画の歴史で例えるなら目に映るものを描く写実主義ではなく、心に映る色彩を描くフォーヴィスム(野獣派)的なアプローチといえようか。西部の荒野に立ったマーサは、きっと大自然をこのような色合いで感じていただろうと思わせる、大変美しいショットで構成されている。
絵画的な魅力もさることながら、アニメーション本来の運動の魅力も当然忘れてはいない。馬を引く手綱さばき、火を起こす手つき、洗濯をする、髪をすくその滑らかさ、水に濡れて重くなったスカートを持ち上げる時の重量感など、細やかな芝居によって感情を表現することが徹底されている。馬や犬といった動物たちのリアルな動きなど、見どころ満載だ。