人種・性別・文化を超えた“相互理解”へ 更新されるドラマシリーズ『マスター・オブ・ゼロ』

更新されるドラマ『マスター・オブ・ゼロ』

 「愛のモーメント」のテーマは家だ。デニースとアリシアのアンティーク家具で装飾された完璧な家。クイーンズの両親の家での暮らしが予見する、デフと恋人の未来。第5章、デニースとアリシアの小旅行の目的地。アンサリとウェイスが脚本を書いていたのは2019年で、2020年春にロンドンで撮影を開始する予定だったが、世界を襲ったパンデミックにより撮影を半年遅らせている。その半年間、世界中の人々は家に籠もる生活を余儀なくされた。心と体をやすめる場所のはずの家が、突如として地獄や戦場と化した家庭もあるだろう。デニースとアリシアの居心地の良い家も、ふたりの関係の変化によって全く違う場所になっていく。ふたりを映すカメラは引いているのに、画角は息が詰まりそうな空間を演出する。

(左から)リナ・ウェイス、アジズ・アンサリ、ナオミ・アッキー MASTER OF NONE Cr. CIAN OBA-SMITH/NETFLIX (c)2021

 全編で監督を務めたアンサリが出演するのは数シーンのみ。第1章でデフは、順調にキャリアと家庭を築くデニースに「以前はよかった。NYを走り回り、好きなことをして、毎日楽しく過ごしていた。自分が恵まれてたと、今頃気づいた」と言う。パンデミックの在宅期間中、世界中の人が同じことを感じていたように。そしてこのセリフは、2017年のインタビューでアンサリが語っていたことにつながっている。「シーズン3をやれるかどうかはわからない。個人的には、結婚したり子どもを持ったり、別人にならないとこの先の脚本を書けないんじゃないかと思っている。NYで食べ歩くばかりのシングルの若者について語れることは、もうないんだ」。言うなれば、クリエイティブにおける閉塞感、ライターズ・ブロックにぶつかっていたアンサリは、友人が同性カップルの精子ドナーになった話を聞いて、以前から考えていたデニースの物語を膨らませることを思いついたという。シーズン2から4年、アンサリは結婚したり子どもを持つことはなかったが、デニース(リナ・ウェイス)のキャラクターを深く構築することによって、社会的マイノリティが直面するおよそ平等とは程遠い現実を知る。デニースとアリシアの夫婦が抱える問題はベルイマンが1974年に『ある結婚の風景』で描いたものと何ら違わないのに、2021年の今も彼らは限られた権利しか享受できていない。TVモニターのサイズは大きくなっているのに、スタンダードサイズの狭い画角の中に閉じ込められたカップルのように。短いシーンだが、デフとデニースの会話には裁きや憂いは一切なく、フラットな一対一の人間同士のものとして描かれている。アンサリは、『マスター・オブ・ゼロ』のオーディションで出会ったウェイスが「サンクスギビング」の元となったエピソードを語った際に脚本を書くことを勧めている。その後のウェイスの成功も含め、ふたりの間に友情が確実に育っていたことがシーズン3のきっかけになったのだろう。

アジズ・アンサリ MASTER OF NONE Cr. CIAN OBA-SMITH/NETFLIX (c)2021

 2017年のシーズン2配信後、アンサリは辛酸を舐めることになった。デートの相手からセクハラ疑惑で糾弾され、まさにシーズン2の最終話のグルメ番組のパートナーのようなことになってしまった。その後、友人のシェフ、デイビッド・チャンがホストの食ドキュメンタリー・シリーズ『アグリー・デリシャス』シーズン1のエピソード1「最高のピザとは」で中目黒の聖林館(当時の店名はサヴォイ)を訪れ、2019年のスタンダップ・コメディのツアーでは東京でもライブを行った。東京のシーンはないが、ライブの様子は『アジズ・アンサリの”今”をブッタ斬り』(Netflix)で観ることができる。以前のアンサリは、マイノリティの立場を逆利用した毒舌で世間を斬る芸風で人気を博していたが、『マスター・オブ・ゼロ』シーズン2以降味わった屈辱や失望を経て、友情と友を支える強さを得ている。それは、インド系アメリカ人のコメディアン、アジズ・アンサリのものではなく、38歳の一人の人間のものだ。アメリカを中心に世界中で6月はLGBTQプライド月間として、コミュニティの理解促進と権利について考える時間になっている。以前に比べると婚姻制度やジェンダー表現は是正されているが、まだ完全な平等な社会とは言えない。2015年、マイノリティのアイデンティティから始まったアンサリの物語は、2021年を迎え人種・性別・文化を超えた相互理解へと辿り着いた。家を築くものが家具や絵画でないように、社会を作るのも制度ではなく、人間である。アンサリや仲間たちの自伝的要素を多く含んだ『マスター・オブ・ゼロ』は、今後も彼らが時代と自身の変化を感じとるたびに更新されていくだろう。

参考

Aziz Ansari on Master of None Season 2 and His SNL Monologue
Woody Allen | BFI

■平井伊都子
ロサンゼルス在住映画ライター。在ロサンゼルス総領事館にて3年間の任期付外交官を経て、映画業界に復帰。

■配信情報
『マスター・オブ・ゼロ』
Netflixにて配信中
原作・制作:アジズ・アンサリ、アラン・ヤン
出演:リナ・ウェイス、ナオミ・アッキー、アジズ・アンサリほか

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