【ネタバレあり】『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』は何を描いたか MCU重要作を解説

 物語が進むなかで、サムは過去にアメリカ軍がスーパーソルジャーを養成するために人体実験を施したイザイア・ブラッドリー(カール・ランブリー)と出会うことになる。彼は秘密裏に身体を強化されたが、その事実を隠蔽するため、軍によって長年隔離されることになり、いまは本名を隠して静かに暮らしている。なぜ、軍はイザイアにそんな非人道的行為ができたのか。それは、彼がアフリカ系だったからだ。イザイアが従軍していた当時、軍はアフリカ系アメリカ人を人間以下として扱い、強制的に危険な実験対象として扱っていたというのだ。

 このエピソードは、ただの創作ではない。実際にアメリカでは、アフリカ系の農業従事者らを騙して、故意に細菌を感染させて治療をせず、長年の間真実を伝えずに経過を観察するという、あまりに非人道的で差別的な実験を行っていた歴史がある。この実験は、驚くことに70年代まで継続していたという。このように、アフリカ系の人々を医療技術などの発展のための道具として利用した例は、アメリカでは無数にある。そんな過去の事実があるため、最近になって政府が新型コロナウイルスに対するワクチンを提供しても、アフリカ系の市民の一部で、接種に拒否反応を示す者たちがいたというのは、無理もないことだ。

 MCUの作品世界において、初代キャプテン・アメリカ、スティーブ・ロジャースは、白人のヒーローとして、アメリカの正義の象徴となった。だがその裏では、黒人のヒーローになるはずだった人物が、政府によって隔離され、存在が消されていたのだ。サムは、その後の世代であり、そこまで犯罪的な暴力を受けてこなかったとはいえ、彼自身もこれまでに様々な差別を受けてきたことは確かなのだ。彼がキャプテン・アメリカになることをためらっていたのは、じつは民族が共有する感情や問題意識があったためだということが、イザイアとの出会いを通して明らかになっていくのだ。

 アメリカは白人が黒人などを搾取してきた国であり、そんなシステムのなかで“正義の象徴”に黒人である自分が収まることは、歴史的に被害を受けてきた同胞に対する裏切りではないか……そのようにサムは思ったはずである。筆者は、まさかこんなにも重いテーマをヒーロー作品が扱うとは思っていなかった。しかし、サムがキャプテン・アメリカへの道を進むのであれば、この苦しい感情を無視しては、作品自体が現実を無視した絵空事になってしまう。本シリーズは、爽快感をただ追うのではなく、あえてこの暗い要素を描いたことで、サムという人物に寄り添った、魂のこもる真摯な作品となったといえよう。

 バッキーはサムとの交流を通して、キャプテン・アメリカになる気になれなかったサムの心情を理解し、盾を手放したことを批判していた自分の態度は無神経だったと謝罪する。バッキーもまた、軍に協力したことで精神や肉体に傷を負った人物である。この二人が真に感情を通わせる第5話は、ファルコン&ウィンター・ソルジャーが、初めて本格的なコンビとなった瞬間を描くこととなった。

 そして最終話では、ついにサムが真のヒーローとして立ち上がる。彼は、フラッグ・スマッシャーズが極端な思想に至った状況に思いを馳せる。想像力を働かせ、相手のことを考える大人の態度を見せるのである。身勝手な正義を完遂するために突っ走るのでなく、状況を考え抜いて現実を少しでも良いものへ変えていく……それを目指すヒーローになることで、サムは迷いを吹っ切るのだ。

 アメリカの正義の象徴である“キャプテン・アメリカ”……それは、自分が声高に名乗るのではない。政府が押し付けで決めるのでもない。弱い立場にいるアメリカの人々が、そしてアメリカの外側の人々が、「彼こそが正義」と自然に思えるヒーローこそが、キャプテン・アメリカなのである。サムが、このことを忘れずに戦い続ける限り、彼はスティーブ・ロジャースよりもさらに偉大な存在になっていくだろう。

 これは、物語の中だけの話ではない。『ブラックパンサー』(2018年)が公開され、ほぼ黒人で占められたキャストの超大作が大ヒットを遂げたことは、アフリカ系アメリカ人の歴史的な偉業として、多くの人々の希望となったのである。アフリカ系の人物が、映画の中の設定だとはいえ、アメリカの象徴となることは、その意味で多様性について少なくない影響を及ぼすはずである。

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