竹内涼真と滝藤賢一の対照的な愛の姿 『君と世界が終わる日に』S1の着地点が意味するもの

『きみセカ』が映し出した対照的な愛の姿

 愛する人との絆は本作に一貫するテーマだ。最終話でもジアン(玄理)とミンジュンの姉弟愛や響と来美の関係がクローズアップされていたが、なかでも首藤が亡き妻に寄せる愛情は痛切だった。冷凍保存装置に眠る妻の亡骸を「私の全て」と言って抱きしめる首藤の愛は、純粋でいびつだ。首藤がゴーレムウイルスを研究したのは死んだ妻を甦らせるため。しかし、そのウイルスが世界を破滅に導くことを首藤は予想していただろうか? ゴーレムの語源を操り人形であると語る首藤の眼に、妻以外の人間は見えていない。

 何度も仲間を危険にさらし、敵の罠に飛び込む響も、愚直に愛するという点では首藤と変わらない。違うのはそこに相手の存在があるかどうかだ。「来美をわかってあげて、どうしてこんな道を選んだのか俺は知りたい。そのためなら殺されてもいい」と話す響は、自らを犠牲にしてでも愛する人のために何ができるかを考えている。それは紹子やジアン、ミンジュンも同じだ。首藤の悲しみの深さははかり知れないが、結局それはエゴの延長でしかなく、自らの欲望のために人々をゴーレムに変える狂った愛情だった。

 人間を操り人形に変えてしまうゴーレムウイルス。響に銃口を向けた来美の真意は駐屯地の人々を守ることで、来美は首藤の操り人形になってでも医師としての使命をまっとうしようとした。人間とゴーレムの違いは何なのだろうか? 遺伝子レベルで変わらない両者の間には自由意思という大きな相違点がある。ワクチンを盲信する人々を首藤はゴーレムと同じと言い、響は野望のために人々を犠牲にする首藤こそがゴーレムだと言う。自由意思は大事だが、それが人々を幸せにしているかどうかが重要なのだ。

 歪んだ愛情が生み出したゴーレムウイルスは愛する者たちを試し、運命を共にする中で新たな絆が育まれた。「お前ならわかるだろう? 愛する人を失ったら、お前なら正気を保てるか?」首藤にとってそれは世界の終わりだった。

■石河コウヘイ
エンタメライター、「じっちゃんの名にかけて」。東京辺境で音楽やドラマについての文章を書いています。ブログTwitter

■放送情報
『君と世界が終わる日に』
Season1(全10話):日本テレビ系にて毎週日曜22:30〜放送
Season2(全6話):Huluにて、3月配信開始
出演:竹内涼真、中条あやみ、笠松将、飯豊まりえ、大谷亮平、笹野高史、マキタスポーツ、安藤玉恵、横溝菜帆、滝藤賢一
脚本:池田奈津子
音楽:Slavomir Kowalewski A-bee
主題歌:菅田将暉「星を仰ぐ」(Sony Music Labels Inc.)
制作:福士睦、長澤一史
チーフプロデューサー:加藤正俊、茶ノ前香
プロデューサー:鈴木亜希乃、鬼頭直孝、伊藤裕史
協力プロデューサー:白石香織
演出:菅原伸太郎、中茎強、久保田充
制作協力:日テレアックスオン
製作著作:日本テレビ、HJ Holdings,Inc.
(c)日本テレビ
公式サイト:https://www.ntv.co.jp/kimiseka/
公式Twitter:@kimiseka_ntv
公式Instagram:@kimiseka_ntv

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