長谷川博己と染谷将太は“父と子”のようだった 愛の物語としての『麒麟がくる』
“選ばれない者”であり続ける信長
信長の孤独の根底にあるのは、父に褒められたい、愛されたいという渇望である。桶狭間の戦の後で、信長は光秀に問う、「褒めてくれるか?」と。ここからわかるのは、信長にとって光秀は疑似的な父だったということだ。染谷将太が信長を演じたのは、卓抜な演技力はもちろんだが、その若さにあったのではないか。史実では光秀は信長の6歳上だが、長谷川博己は染谷の15歳上である。信長は父に褒められ愛されたい永遠の息子であり、未完成の主君なのだ。
最終回で信長は光秀に言う。
「二人で茶でも飲んで暮らさないか。夜もゆっくり眠りたい。明日の戦のことを考えず、子供のころのように長く眠ってみたい。長く」
信長が希求するのは父に愛される幸福な子供時代にほかならない。しかしその実現のために、光秀にかつての主君である将軍・足利義昭殺害を命じる。この文脈から考えれば、この命令の根底に嫉妬があることは明白だ。光秀は、第27回でも信長に「義昭様のおそばに仕えるのか、わしの家臣となるのか」と問われ、迷わず義昭を選んでいる。ここで信長はもう一度光秀に選択を迫ったのだ。そして光秀はここでも「私には将軍は討てませぬ」と返し、またしても信長は選ばれない。武田勝頼討伐で功績のあった家康をもてなす饗応の席で光秀を打擲する有名なシーンも、信頼関係で結ばれた光秀と家康の姿を信長が覗き見るシーンに続くことから、嫉妬の情が読み取れる。それは父を独占したいという子供っぽい欲望だったかもしれないが、天下に限りなく近づきながらも、なお「選ばれない者」であり続ける信長の悲哀がひしひしと伝わってきた。
「殿は変わられた」と嘆く光秀に、信長は「そなたがわしを変えたのじゃ」と訴える。「大きな世を造れ」と説いた光秀に応え、褒められることこそが、天下取りに邁進する信長を駆動してきたからだ。しかし光秀は信長を愛しながらも、信長の心の叫びを理解することはない。逆に、平らかな世の実現のために、月に向かって大木を登る信長を阻止すべく木を切り倒すことを決意するのである。
この絶望的なすれ違いが、最終回「本能寺の変」の「そうか、十兵衛か」「であれば、是非もなし」という信長の言葉に、かつてないほどの説得力とともに、やりきれない切なさを滲ませた。笑っているようにも見えた染谷信長が火に包まれる最期を、長谷川光秀は早朝の青みがかった光の中で遠くから見守る。このとき、皮肉な形で水色の空の色と炎の赤い色が混ざり合う。両者を塀が隔てていたとしても、これはこの長いドラマの中で、光秀がもっとも信長の「父」に近づいた瞬間だったかもしれない。
麒麟を待ちながら
驚いたことに、この後のエンディングでは、生き延びた光秀が描かれた。青く装飾された馬にまたがり颯爽と駆け抜ける光秀の姿は、さながら麒麟と化したようだ。光秀のその後はわからない。しかしここで私たちは、徳川家康の天下平定に多大な影響を与えたという天海僧正こそ光秀であるという俗説を改めて想起させられる。なぜなら天海の兜こそ、「麒麟前立付兜」(きりんまえだてつきかぶと)と呼ばれる麒麟をあしらった兜にほかならないからだ。
池端俊策の脚本は最初からそこに向かっていたのではないかと私は思う。そして天海が光秀だとしたら、信長の父になり損ねた光秀は、家康の父となって「大きな国」と「平らかな世」をもたらしたのではないだろうか。
■岡室美奈子
早稲田大学演劇博物館館長、早稲田大学教授。文学博士。専門はテレビドラマ論、現代演劇論。放送番組センター理事、フジテレビ番組審議会委員、ギャラクシー賞テレビ部門選奨委員などを務める。4週間に1回、毎日新聞夕刊放送面にコラム「私の体はテレビでできている」連載中。訳書に『新訳ベケット戯曲全集 ゴドーを待ちながら/エンドゲーム』、共編著に『60年代演劇再考』などがある。
■放送情報
大河ドラマ『麒麟がくる』総集編
2月23日(火・祝)放送
NHK総合
(1)13:05〜14:00 第1章「美濃編」
(2)14:00〜15:00 第2章「上洛編」
(3)15:05〜16:20 第3章「新幕府編」
(4)16:20〜17:35 第4章「本能寺編」
BS4K
(1)13:05〜14:00 第1章「美濃編」
(2)14:00〜15:00 第2章「上洛編」
(3)15:00〜16:15 第3章「新幕府編」
(4)16:15〜17:30 第4章「本能寺編」
主演:長谷川博己
作:池端俊策
語り:市川海老蔵
音楽:ジョン・グラム
制作統括:落合将、藤並英樹
プロデューサー:中野亮平
演出:大原拓、一色隆司、佐々木善春、深川貴志
写真提供=NHK
公式サイト:https://www.nhk.or.jp/kirin/
公式Twitter:@nhk_kirin