『パラサイト 半地下の家族』はいまこそリアル? 地上波初放送前にチェックしたい5つのポイント
登場人物が面白い
登場するキャラクター、一人ひとりの個性が圧倒的に際立っているのも、大きな魅力だ。ギテク、チュンスク、ギウ、ギジョンの個性はもちろん、なにかと会話のなかに英語を紛れ込ませてくるパク家の奥さまや、重度の“桃アレルギー”で物真似が得意な家政婦など、とにかく出てくる人物全てに強烈な個性が付与されている。ポン・ジュノ作品は、大きな役から小さな役に至るまで、魅力が溢れている。
それは、単に面白いというだけではない。過去作『母なる証明』でも顕著だったように、ポン・ジュノ監督が描く人間には、表と裏の顔がある場合が多い。優しそうな人物がじつは狡猾だったり、あどけなく清純に見える人物に蠱惑的な一面があったりもする。そんな多面的なキャラクターたちの存在が、作品をも複雑で容易ならざるものにしているのだ。
人間とは、なんと面白く、そしておそろしい存在なのか。この多面性は、本作の展開を大きく左右することになっていく。
“半地下”と豪邸
そんな本作が描いているのが、現代の過酷な社会問題である。ポン・ジュノ作品は、いつでも内容に社会の歪みを反映させているのだ。
本作で社会問題の象徴となっているのが、ギテクたち一家が住んでいる“半地下住宅”である。韓国では朝鮮戦争を経て、70年代に入ってから爆撃の対策として地下室と半地下部屋の建築が義務づけられることになったという。その後、ソウルの経済が成長することで人口が増え、半地下部屋は安く貸し出されることが多くなった。現在では法律が変わって半地下部屋が造られる機会は減ったが、古い建物に残る賃貸住居は、いまだに低所得層の生活の場となっている。
異様なのは、部屋の高い位置にトイレが置かれている光景である。これは、下水管の位置が高いために、トイレを床に設置できないという理由があるようだ。そんな不便で薄暗く、じめじめした環境に、一家は身を寄せ合って生きているのだ。劇中では、大雨が降ったことで半地下に大量の汚水が流れ込み、大騒動が起きる。一方で、高台にあるパク家の豪邸はそんな天候でも何一つ不自由なく優雅に暮らせる状態にあることが、対比として示される。
だが、果たして半地下に住む者と高台に住む者に、それほどの違いがあるのだろうか。本作で描かれるように、半地下の家族たちは裕福なパク家を手玉に取ることができるくらいに優秀だ。仮に彼らが装っている身分そのままの職に就いていたとしても、成功できる力はあるように見える。しかし、半地下に住む者たちはなかなかその境遇から抜け出せないのが原因だ。
一家はパク家のように、恵まれた環境から余裕を持って事業を始められる余裕は存在せず、家庭教師を雇うこともできない。結果として、貧乏な人々は貧乏なままとなってしまう。社会のなかで経済格差が固定化してしまうのだ。一家が半地下から抜け出せず、匂いが染み付いている描写というのは、そのような逆転不可能な社会の現状を間接的に映し出しているといえよう。匂いにまつわる場面でギテクが怒りを示すのは、そんな社会のシステムそのものに対してなのかもしれない。