淡々と続く日常の中で確実に一歩前へ 『チャンシルさんには福が多いね』が与えてくれる“気づき”

『チャンシルさん』が与えてくれる“気づき”

 『チャンシルさんには福が多いね』は、カンヌ、ベルリン、ヴェネチアの三大映画祭でも受賞を重ねてきたホン・サンス監督の下でプロデューサー(PD)を長らく務めてきたキム・チョヒの長編デビュー作である。

 彼女のことを紹介するのにホン・サンスの名前を挙げたのは、高名な監督の元で学んできたからこそ、彼女の作品もまた良いと言いたいわけではない。もちろん、ホン・サンス監督の影響も感じるが、むしろ、こうした威光とともに語るべきではない映画だからこそ、冒頭に書いておきたいのである。

 この物語は、キム・チョヒ監督自身を投影していると言われている。主人公のチャンシルは映画のプロデューサーだ。彼女がずっと支えてきた映画監督が、ある日突然、仕事仲間と酒を酌み交わしていた中で亡くなってしまうところから物語は始まる。チャンシルは、そのことで無職になり、自分が40歳にして、恋人もおらず、結婚もしておらず、何も持っていないことを実感するのだ。

 ドラマや映画の冒頭で、女性の主人公が、何もかもを失って初めてわが身を振り返り、前に進もうともがく物語は多い。日本でも、そこではたと立ち止まり、恋人探しや結婚をしようと焦る物語を何本も観てきた。チャンシルさんもはじまりは同様だった。

 仕事を失ったチャンシルは、年老いた大家さんの住む家で間借りをし、友人の女優の家で家政婦のようなことを始める(この大家さんや友人との関係性も良いのだ!)。そこで出会ったフランス語の個人レッスンの講師にほのかな気持ちを抱くようになる。彼は、フランス語の教師は生活のためのアルバイトとしてやっていて、本業は映画監督だということでも、チャンシルは自分と気が合うのではないかと期待を寄せていた。

 かつて仕事で一緒だった会社の社長からも声をかけられたりと、チャンシルさんの人生は新たに回り出したようにも見えたのだが、段々と明らかになってくるのは、あれだけ仕事に懸けてきたというのに、PDという仕事が、周囲から見れば、単なる雑用だと思われていることだった。

 ただ本作では、そこで監督を責めるのではなく、そのことにずっと気づかなかった自分に愕然とし、「今まで頑張ってきたことはなんだったのだろう」と振り返っているように見えるのだ。

 偶然だろうが、韓国の近年の映画や読み物には、それがメインのテーマというわけではないが、こうした「今まで頑張ってきたことはなんだったのだろう」と振り返る目線がどこかに描かれていることが多い。例えば、ポン・ジュノ監督作『パラサイト 半地下の家族』では、大洪水により避難所で過ごす晩にソン・ガンホ演じる一家の父親ギテクが息子のギウに、「計画がなければ失敗することもない」と語る場面がある。このシーンを、「計画なんてしなくていいんだ」とポジティブに捉える人もいるかもしれないが、むしろ経済的な成長という「計画」のために、この家族のような一般市民ががんばったところで、何を得られたのだろうか、「だったら計画なんてしないほうがましだ」というギテクの無念さを表す言葉のように感じた。それは「計画」通りに頑張って勝ち抜いたパク一家の元で働くことで、明らかになったのである。

 また、リアルサウンドブックでもレビューを執筆した、日本でも出版されたエッセイ『あやうく一生懸命生きるところだった』にしても(参考:東方神起ユンホも共感 『あやうく一生懸命生きるところだった』が描く、韓国のオルタナティブな一面)、やはり、経済成長など、第三者のために「一生懸命」生きてきて、何を得られたのだろうかという目線があったと思う。

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