プロセスの映画と連続/断絶の問題を考える 『本気のしるし 劇場版』の“暗い画面”が示唆すること

“暗い画面”の映画が示唆すること

「プロセスの映像文化」と「ワークショップ映画」の台頭

 個々に分断されモナド化した「密室」に自閉する「暗い画面」の映画たち。この、コロナ禍の映画文化のいたるところに見られるイメージは、ぼくの見立てでは、確かにプレコロナの2010年代の映画にはあまり見られなかった「新しい画面」のように思われる。たとえば、ぼくは現代のデジタル化し、ネットワーク化した映画や映像文化の物語や制作スタイルに特有の秩序を、「プロセスの映像文化」と名づけて論じたことがある。

映画からアニメーション、演劇、ロックバンド、ダンス……ジャンルは違えど、こうしたなんらかの「ものづくりのプロセス」を丹念に描き、しかもその作品のつくり手たち自体もしばしばインディペンデントでアマチュアな状況にある――つまり、「完成」や「成熟」にいたるプロセスにある――という作品が、2010年代以降の映像文化の重要な一角を占め始めているのである。(拙稿「『映像研には手を出すな!』と「プロセス」を描く映像文化」、INSIGHT美術手帖、2020)

 そこでぼくが具体的な例として挙げたのは、濱口竜介の『親密さ』(2012年)や『ハッピーアワー』(2015年)、富田克也の『バンコクナイツ』(2016年)、鈴木卓爾の『ジョギング渡り鳥』(2015年)や『嵐電』(2019年)、そして三宅の『THE COCKPIT』など。さらに、そのもっともメジャーなタイトルとして、社会現象にまでなった上田慎一郎監督の『カメラを止めるな!』(2018年)が挙げられることはいうまでもない。

『カメラを止めるな!』(c)ENBUゼミナール

 ぼくはまた、これらの映画を「ワークショップ映画」とも呼んだ。それは、どれも演劇公演や映画制作プロセスなどのワークショップ的なシチュエーションが作品の重要な核として描かれている点に特徴があり、なおかつ作品そのものが映画学校のワークショップや大学の映画学科の修了制作など、何らかの意味でインディペンデント(アマチュア)なワークショップ的文脈に基づいて制作されてもいるという二重の構造を備えているのである。こうしたワークショップ映画が2010年代に入ってから、明らかに目に見えて映画界の一角で台頭してきた。

 作品であれコミュニティであれ、何らかの「かたち」が生成するプロセスそれ自体をまるごと描くというワークショップ映画の台頭は、やはりまずは現代のデジタルネットワーク環境の浸透が前提に考えられるだろう。かつてニコニコ動画などの動画プラットフォームが「永遠のβ版」と呼ばれたように、物質的な支持体の形状を持たないデジタルデータで作られるコンテンツは、「完成品」としての確固とした輪郭や終着点を原理的に持ちえない。いわばそれらはいつまでも生成の途上=プロセスにあるものである。現代のワークショップ映画は、こうしたデジタル映画の「運命」をモティーフとして的確にかたどっているのである。

2007年の世代

 さらにぼくは、こうしたワークショップ映画のひとつの起源を、かねてから2000年代後半の2007年前後に見出している。

 この時期の前後、日本映画の一角では1970〜80年代生まれの、当時20〜30代だった若手映画監督たちによるインディペンデント映画が大きな盛り上がりを見せ始めていた。このことの詳細はまた別稿に譲るべきだろうが、たとえば、それはすでに触れた濱口や三宅、富田(もしくは映画制作集団としての「空族」)だったり、それから石井裕也、真利子哲也、入江悠、瀬田なつき、横浜聡子……そして、ほかならぬ深田晃司といった新進気鋭の監督たちであった。そして、東京や大阪などの都市部のミニシアターを中心に、「CO2(シネアスト・オーガニゼーション大阪)」、「ガンダーラ映画祭」、「CINEDRIVE」、「MOOSIC LAB」、そしてぼく自身も企画・MCとして関わった「CINEASTE3.0」などのインディペンデント映画関連の上映イベントや助成制度がこの前後に続々と現れ、彼らの初期のキャリアを多かれ少なかれ支えていったのである。

 その意味で、ぼくは上記の映画作家たちをまとめて、かりに(蓮實重彦の「73年の世代」になぞらえて)「2007年の世代」と呼ぶことにしている。つまり、『カメ止め』の社会現象化という形で結実した2010年代のワークショップ映画ムーブメント=プロセスの映像文化のルーツは、ぼくの考えでは、もともとはこの2007年の世代の登場にあったと捉えたほうがよい。

Web2.0との関わり

 では、これらの若手映画作家たちの台頭というメルクマールが、なぜ2007年という年(時期)だったのか。もちろん、インディペンデント映画関連の文脈では、たとえばまさに上田が『カメ止め』をその修了制作として手がけたENBUゼミナールをはじめとする映画ワークショップや各種映画教育機関の設立もそこには深く関わっているだろう。

 しかし、この連載の論旨からいえば、この時期は何よりも、いわゆる「Web2.0」(ティム・オライリー)というバズワードで喧伝されたICTの広範なパラダイムシフトに重なっていたという事実に注目すべきだろう。ご存知の読者も少なくないはずだが、この2007年の前後には、iPhone(スマートフォン)やKindleといったモバイル端末、Twitter、pixivといったSNS、ニコニコ動画、Ustreamといった動画共有サイトや配信プラットフォーム(YouTubeの登場は2005年)、そして初音ミクなどそれらと紐づいた新世代のソフトウェアが続々と登場し、「ウェブからアプリへ」「一方通行から双方向へ」といった情報環境やユーザの行動様式の構造転換が一挙に進んだ。こうした文化表現を支える下部構造(インフラ)の巨大な地殻変動、とりわけYouTubeやvimeoといった新たな動画プラットフォームの台頭が、若い世代のインディペンデント映画をめぐる文化圏の形成にとって大きな役割を果たしたことは間違いない。

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