学園モノの主戦場はドラマから映画へ? 『弱虫ペダル』『ふりふら』などに共通する“非教室性”
新型コロナウイルスの影響で放送予定だった新作ドラマが軒並み延期となり、その代替としてかつての名作ドラマが再放送されたこの春。なかでも大きな話題を集めたのは、2001年に放送された『ごくせん』(日本テレビ系)や2005年に放送された『野ブタ。をプロデュース』(日本テレビ系)のような“学園モノ”と呼ばれるジャンルの作品で、松本潤や小栗旬、亀梨和也、山下智久、戸田恵梨香といった、現在も活躍する俳優たちの初々しい演技が見られたということが大きいだろう。もちろん学園モノはかねてから若手俳優の登竜門としての位置付けが強く、近年でも『3年A組 ―今から皆さんは、人質です―』(日本テレビ系)に代表されるように数多く作られ、そこから多くの人気俳優を生み出してきた実績がある。
しかしながら、いざ放送が再開された4月期ドラマ(もはや放送時期もバラバラで、このように呼称するのはいささかはばかられるが)には学園モノと呼べる作品は存在せず(警察学校を舞台にした日本テレビ系『未満警察 ミッドナイトランナー』はややそれに近いものがあるわけだが)、その一方で、7月ごろから徐々に再開している映画館ではこの夏、いわゆる学園モノの青春映画が立て続けに公開されているのである。ふと考えてみると、「学園モノ」とひと口に括ってもその形態は多種多様で、とりわけ「映画」と「テレビドラマ」ではまるで異なるタイプの作品が作られてきたように思える。
たとえばごく一般的な「テレビドラマ」界における学園モノといえば、それこそ『3年B組金八先生』(TBS系)や『GTO』(フジテレビ系)、前述した『ごくせん』や『3年A組』に代表されるように、教師を主軸にしてクラスを構成する生徒それぞれにフォーカスを当てたエピソードが展開するタイプが主流である。これはもちろん、テレビドラマに必要な連続性を持たせるための手法である場合が多く、さながら教壇に立つ教師の視点と同様に視聴者が教室全体を俯瞰的に見渡し、生徒個々のディテールが明らかになっていくことで、教室全体のドラマが生み出されることになる。こうしたタイプを“教室性”と表現しておこう。
その“教室性”をよく表しているのは、『3年B組金八先生』に代表されるように、座席配置であらわにされる各生徒たちの個性と、彼らが作り出す教室内のヒエラルキーと呼べるものだろう。前方に真面目な生徒が座り、後方に問題児が集約され、クラス委員的なまとめ役が中央に配置される。比較的外交的な生徒は廊下側に座り、内向的でミステリアスな存在ほど窓辺に偏る。座席配置がもはやぐちゃぐちゃになっていた『ごくせん』においても、松本潤演じる沢田慎は教室の後方寄り中央に座り、クラス全体を見渡せる位置に座っていたはずだ。しかしながら、前述した『野ブタ。をプロデュース』のように、教師ではなく生徒が主軸になる作品となるとたちまちこの“教室性”は失われ、座席配置すら大きな意味をなさなくなる。たしかにヒエラルキーが存在する教室内でも物語が展開するが、教壇から教室を俯瞰する視点ではなく、部活や放課後、休み時間など、教室以外の部分での物語が重要となっていくわけだ。
このような“非教室性”の学園モノは、多くの生徒の物語を網羅して全体を構成する必要がなくなるので、2時間ほどの短い時間で作品全体のテーマを提示する「映画」によく見られる特徴だ。とりわけ主人公生徒のパーソナルな部分を深く掘り下げることができ、2000年代にブームとなった純愛青春映画や、2010年代を席巻した少女漫画原作のキラキラ映画、はたまたヤンキー映画のように、学校というシチュエーションが副次的なものにすぎない作品にこそ相応しい。その点で、対照的な性格の主人公2人といじめられっ子の少女が作り出す“友情”を最大のテーマにした『野ブタ。』や、ツッパリたちの個性を立たせることに特化した『今日から俺は!!』(日本テレビ系)は、どちらも土台となる原作に作り手側の個性が反映されたことで、テレビドラマとして成立するだけの強固な連続性を確保することができたのだと考えられる。