『野ブタ。をプロデュース』が15年後も色褪せない理由 「青春アミーゴ」とリンクする青春の痛み
「青春アミーゴ」がエモい。
劇中の役名、修二(亀梨和也)と彰(山下智久)名義で歌う『野ブタ。をプロデュース』(日本テレビ系、以下『野ブタ。』)の主題歌「青春アミーゴ」。2005年の本放送当時、「エモい」というワードは現在ほどは一般化されていなかったと思うが、当時この言葉があったら最もこの言葉が似合う曲大賞1位(勝手に作りました)を捧げたい。
メロウでエモーショナルなメロディで「地元じゃ負け知らず」「信じて生きてきた」の部分で亀梨と山下の若く細い喉を絞リ出すような高音の絡み合いが、心の柔らかい部分のど真ん中を刺して、何度聞いても泣ける。これぞ青春の痛み。そしてこの感覚がまるごとドラマの魅力とリンクしているように感じる。
『野ブタ。』は、高校生活を円滑に、学内の人気者でいるために、表面を繕って生きている修二と、マイペースのお坊ちゃん彰が、自分の良さを上手に表現できずイジメにあっている少女・信子(堀北真希)をプロデュースして学内の人気者にしていくというもの。
髪で顔を隠しうまく笑えない信子が徐々に変わっていく解放感と救済感を描く一方で、毎回、最後に修二がちょっと不穏なモノローグをつぶやき、そこから「青春アミーゴ」がかかる。主人公・修二の内面をミステリー仕立てにした続きが気になる仕掛けが見事で、毎回、ドラマが終わって、面白かったーという気分と同時に、どこかモヤモヤが残るところにこのドラマの妙味はある。
暗い少女を魅力的に変化させていくゲーム感覚、学内にはびこる虐めに対抗する明るい前向きさというポジティブ面の裏側で、じわじわとあぶり出されていく修二のほの暗さ。自分が優秀なゆえに周囲の人々を軽んじ、器用に彼らをあしらいながら立ち回っていた修二の生き方は、観ている側の鏡にもなる。
昔ばなし『王様の耳はロバの耳』のように、いつだって私たちは、社会に適応するために本音を隠す技術が求められている。2005年から15年経ったいま、さらにその傾向は顕著になっているといっていいだろう。SNSが発展して、匿名の発言権が強くなり、裏アカを持つのが当たり前のようになった。相手と違う意見を言って険悪になりたくないから、なんでも「そうですね」と受け止めて、好きではないものを「好き」、面白くないものを「面白い」とその場をやり過ごしながら、本当の気持ちは、裏アカや鍵アカにそっと吐き出したり、匿名アカで厳しく批判したりして、心のバランスをとっている。いまは、『野ブタ。』の前半に描かれたような直接的な虐めよりも、こういう内面の分断のほうが広がっているような気さえする。だからこそ、『野ブタ。』がいま放送されても色褪せることなく高い支持を得るのではないだろうか。