『ブロー・ザ・マン・ダウン』が描く、穏やかな狂気の危うさ 女性共同監督の野心的意図を読む

荻野洋一の『ブロー・ザ・マン・ダウン 』評

 蟄居(ちっきょ)生活が続くなか、劇場で新作映画を観ることのできない世界中の観客がネット配信を通じて映画を観ている。この3月下旬にAmazonプライム・ビデオで配信開始され、アメリカ本国で絶賛をもって迎えられている1本のスリラー作品『ブロー・ザ・マン・ダウン~女たちの協定~』について触れておきたい。

 スリラーというジャンルでは多くの場合、おそろしい殺人が描かれる。殺人にいたる経緯、犯人の動機、殺人から逃れたい被害者の恐怖ーー。そのいずれの要素を、『ブロー・ザ・マン・ダウン』は開始十数分で支度し終えてしまう。あとの1時間半近くをいったいどのように語るのだろうか。殺人が生起するサスペンスそのものではなく、すでに起こってしまった殺人が共同体に突きつける波紋の広がりに目を向けるという点で、本作は『ツイン・ピークス』型のストーリー手法の作品だと言っていいだろう。

 あっという間に果たされた殺人事件からにわかに広がっていく波紋の予想外の大きさに、犯人も、周囲の人々も、じっと眺めたまま目が離せなくなる。原題の『Blow the Man Down』は直訳すれば「その男をやっつけろ」となる。じっさい作品冒頭すぐ、売春宿に雇われたクズなポン引き男があっさり殺される。ひどく雑で出来の悪いサスペンス映画を予想させるが、そこがこの映画を作った2人の女性映画作家の鋭利な底意地の悪さだ。日本初紹介となる女性共同監督、ブリジット・サヴェージ・コール&ダニエル・クルーディは共に撮影クルー出身で、映画『ブラックスワン』や多くのTVドラマシリーズでカメラオペレータを務めながら、こつこつとシナリオを書き、短編の積み重ねで監督としての腕を磨いてきた。

 「その男をやっつけろ」の直訳どおり、漁村でクズな男が殺されて幕を開けるが、男自身その日の朝に、売春宿の金庫から大金を盗んだ娼婦を殺して金を横取りしたばかりだ。Blow the Man Downとはイギリスの漁師のあいだでむかしから歌い継がれた労働歌(シャンティ)で、突風で倒される漁船の帆のことを指すらしい。漁師たちが力仕事のおりに皆で声を揃えるシャンティのことだから、おそらく性的な比喩も込められているだろう。甲板で高らかに歌われるBlow the Man Downの歌詞が、入り江の奥深く、出漁の留守を預かる女性たちのもとでしずかに発酵し、異常さを誰も指摘しようとしない穏やかな狂気を、あたかもそれが漁村の善き伝統であるかのようにして温存させていく。そこの巾着を、フィレットナイフ(鮮魚をさばくための細長刃の包丁)で切り裂いて、おぞましい中身を晒していこう、というのがブリジット・サヴェージ・コール&ダニエル・クルーディ組の野心的意図である。

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