『惡の華』は女子こそ観るべき“男子トリセツ“映画だ 特典のオーディオコメンタリーも必聴!

『惡の華』から学ぶ“男子トリセツ“

 映画『惡の華』のBlu-ray&DVDが3月3日に発売される。この作品を、筆者をはじめ「かつて女子」だった大人の女性は楽しめるのだろうか。予告映像を見た時に、漂った嫌悪感に、そんなことを懸念した。好きな女子の体操着を(しかもブルマ!)を嗅ぎ、そのまま持ち帰ってしまう主人公。それを目撃した別のクラスメイトの美女から、脅迫される形で主従関係の契約を結ぶ……。【記事の最後にサイン入りプレゼント有り】

 そんな思春期の男子をメインにした青春物語を、「かつて男子」だった男性たちが、むずがゆく観るのは理解できる。だが、共感はできない「かつて女子」だった女性が観ていいものなのか。この物語は、ある意味で「かつて男子」だった人たちの聖域なのではと思っていた、実際に観るまでは。

 「男は」「女は」と、大枠で語るのはナンセンスな時代になったが、それでもやはり「男」と「女」のお互いに理解しがたい領域が存在するし、その「わからない」があればこそ惹かれ合うのも事実。本作を観れば、その相容れない男女の領域が、思春期のころに決定づけられていたことを再認識されられる。

 この物語は、主人公・春日高男(伊藤健太郎)と、3人のヒロインによって進んでいく。まだ何者でもない春日が、閉塞的な街で「その他大勢のモブキャラと自分は違うんだ」と言わんばかりにもがき、苦しみながら、少しだけ大人になっていく様が描かれる。だが、それは春日自身の成長というよりも、3人のヒロインたちの成長が反射しているだけのように見えなくもない。

 “理想の女子“を背負うミューズ・佐伯奈々子(秋田汐梨)、“本能の女“がうずき欲求をぶちまける仲村佐和(玉城ティナ)、“大人の女性“として自分の恋をハンドリングしていく常磐文(飯豊まりえ)。それぞれ別人格で描かれているが、見進めるうちにそのどれもが「女性」の中に息づいているものだと感じた。身体も心も、一気に成長していったあのころには、冷静に見つめられなかった女子のドロドロこそ、よく描かれている作品だ。

 春日が最初に恋心を抱き、体操着を盗まれてしまう佐伯は、テストで98点を取るように、女友だちとのやりとりも、男子からの熱い視線にも、100点の対応を心がける。少女から女性へ。周囲からの視線や期待されることがガラリと変わる時期に、「こうすればOK」という“女のセオリー“を必死になぞっていく。

 それと同時に、求められるものに応えている自分に満足しながらも、本当のは私は別にいるようなフラストレーションも抱えている。そんな彼女が彼氏に求めるものは、本当の自分を持っている人。小難しい本を読み、周囲の男子とは違う雰囲気を持つ春日に興味を持つのも当然だ。

 そこに「私だけが彼の魅力を知っている」という“見つけた感“も、プライオリティを高める。本当は春日の読んでいる本なんて全然わからないけれど、「すごいね」「かっこいい」と、彼の特別になりたい欲を煽って、「100点の私」に見合う恋人へと育てていこう、と思っていたはず。だが、彼女の想いは、より深く春日と結びつく仲村佐和によって乱されていく……。

 一方、仲村は春日が体操着を盗む場面を目撃し、黙っている代わりに様々な要求を突きつける。日々、湧き上がる苛立ちが隠しきれず、周囲には「何を考えているかわからない」と忌み嫌われ、近付こうとする人には「クソムシが」と噛みついてしまう。その態度が、ますます周りから人を遠ざけていることに気づきながらも、どうしようもできない。

 これは、女性ホルモンに翻弄されたことがある人なら、きっと思い当たるフシがあるはずだ。幼いころに両親が離婚し、前時代的な感覚の祖母と父と暮らす仲村にとって、それを相談できる「かつて女子」が周囲にいないことも悲しい。

 「つまんない、つまんない、つまんない!」。何が不満なのかも、どうしたらそれが解決されるのかもわからない。抑えきれない欲求でグチャグチャなところに、本能がはみ出してしまった春日を見つける。ダメな部分で繋がれる共依存関係はドロドロで温かい。そのうち「どれだけ私のために壊れてくれるのか」で愛情を測り始め、破滅の道をひた走る。そこに火が付けば、灰になるまで燃え上がることしか知らない。

 そんな仲村が、自分の闇にぶち当たり壊れかけた佐伯を抱きしめるシーンは秀逸だ。自分でもコントロールが難しい女の性に目覚めてしまったら、誰からも愛される無垢な少女ではいられない。それを知っている仲村は、かつての自分がそうされたかったように、佐伯を抱きしめるのだ。

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