『スカーレット』喜美子の中に宿る“剛と柔” これまでの朝ドラヒロインとは異なる複雑な内面性

『スカーレット』喜美子の中に宿る“剛と柔”

 年明けから「陶芸家編」が始動した連続テレビ小説『スカーレット』(NHK総合)で、息が苦しくなるような展開が続いている。ヒロイン・喜美子(戸田恵梨香)とその周りの人々の日常と、移りゆく心模様を細やかに描きながら、「人間とは何か」「芸術とは何か」という手強い問いを投げ続け、答えを求め続けてきたこのドラマの、いよいよ核に迫るターンだ。

 「人間は不完全な生き物である」。『スカーレット』は、この至極当たり前の命題を絶え間なく丁寧に描いているドラマだ。不完全な人間が、自らと向き合い、芸術と向き合い、高みを目指すとき、苦しみが伴わないはずがない。『スカーレット』の世界に魔法使いはいない。ひとつひとつの出来事に喜美子が、八郎(松下洸平)が、自ら対峙していくしかないのだ。私たちの人生がそうであるように。

  「陶芸家編」に突入してからは、創作意欲の炎が燃え始めている喜美子とは対照的に、創作に行き詰まってしまった八郎の苦悩がヒリつくリアリティで描かれている。また、人物の内面世界にグッと寄った展開ゆえ、喜美子が持つふたつの性質、「剛(かたさ・つよさ)」と「柔(やわらかさ・やさしさ)」が綱引きしているような描写が目に付くようになった。

 長き朝ドラ史にヒロインのタイプ数あれど、際立った造形を大別するならば、おおよそ「剛」と「柔」のふたつに類別できるのではないだろうか。「剛」のヒロインは思い込んだらまっしぐら、周りのことが目に入らず、ときに暴走してしまう激しさを持っている。『カーネーション』(2011年)の糸子(尾野真千子)や、『純と愛』(2012年)の純(夏菜)、『ごちそうさん』(2013年)のめ以子(杏)はこのタイプではないだろうか。一方「柔」のヒロインは、調和と柔和を重んじ、表立って強く主張しないかわりに、懐柔の才に長けていたりもする。『てるてる家族』(2003年)の冬子(石原さとみ)、『ゲゲゲの女房』(2010年)の布美枝(松下奈緒)、『まんぷく』(2018年)の福子(安藤サクラ)などがこのタイプと言えるかもしれない。

 とすると、喜美子は「剛」と「柔」、両方の特性を持ち合わせたヒロインではないだろうか。父・常治(北村一輝)の遺伝子を受け継いだ先天的な血の気の多さと、環境に応じて身につけた後天的な柔軟性が同居している。物心ついたときから常に立ちはだかる「貧しさ」という障壁、「The 昭和親父」の常治による数々の無茶振り、長女でありながら長男の役割も果たさねばならなかった重責。喜美子は、こうした否が応でも向き合わなければならない現実に、愚直に頭から突っ込んでいっても太刀打ちできないことを早くに悟り、回り込んでうまく処す工夫を身につけていったのだろう。

 人生で出会った「心の師」からの教えも、喜美子の「柔」を形成する大きな要因だった。ガキ大将を箒で追い回してとっちめたり、信楽の陶工・慶乃川さん(村上ショージ)の作品を「こんなんゴミやん」と言い捨ててしまうような「餓鬼」の部分もあった喜美子に、他者を敬うことの必要性、対決ではなく対話で解決することの大切さを説いたのは最初の師・草間さん(佐藤隆太)だった。高校進学を諦め、一見、回り道に思えた大阪での修行時代に出会った第二の師・大久保さん(三林京子)からは、心豊かで快適に生活するための能率的な家事の仕方、作業の極意を仕込まれた。絵付けの師匠・フカ先生(イッセー尾形)には、柔らかな心で創作に向き合い、決して慢心せず新たな挑戦をし続けることを学んだ。

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