情けなく、“最もカッコ悪い”高良健吾を見届けよ! 『アンダー・ユア・ベッド』は狂った小さな恋の物語

『アンダー・ユア・ベッド』高良健吾の怪演

 ビックリするほど存在感の無い男・三井(高良健吾)。その忘れられっぷりは凄まじく、子どもの頃には夏の車に放置されて死にかけて、中学時代には卒業アルバム用の写真で不在が気づかれないほど。そんな三井だったが、大学時代に初めて他人から声をかけられる。同級生の千尋(西川可奈子)だった。

 卒業後、千尋は何処かへ行ってしまうが、三井はたった1回だけの「声をかけられた」事が忘れられなかった。「もう一度、名前を呼んでほしい」切実で歪んだ想いから、三井は千尋を探し出す。すると千尋は結婚し、別人のようになっていた。しかし、幸せにしてんならそれでいいとZeebra精神で許せるかと思いきや、彼女の夫は最低のDV男で……。

“カッコいいサイコ”にならない高良健吾 

 『アンダー・ユア・ベッド』(2020年1月8日Blu-ray&DVD発売)は、不思議な味わいを残す作品だ。主人公の三井は千尋の生活を監視して、勝手に部屋に入り込んで、遂にはタイトル通りベッドの下に潜んで、暴力を伴うセックスを全身で感じる。ヴァイオレンスかつエロティック、そしてかなりのサイコである。ところが見終わったあとの印象は爽やかだ。これは一重に、本作のメインプロットが(倒錯してはいるが)恋愛劇だからだろう。

 主人公の三井は人間的に壊れているが、徹底的に一途だ。「たった一度だけ自分の名前を呼んでくれた」こんな些細な事に一生をかけるのだから。彼のキャラクターにはフランケンシュタインの怪物的な哀しみがある。また、千尋の悲惨な境遇も大きい。彼女は劇中の登場シーン8割(体感)で、目を覆いたくなるような暴力に曝される。この悲惨なシーンの連続は、変な話だが観客に「サイコストーカーとDV夫のどっちがいいか?」と問いかけてくるようだ(もちろんどっちでもないのがベストなのだが)。そして、この問いかけに応じるように物語は進んでいくのだが、本作の面白い点は、三井を“カッコいいサイコ”にしていない点だ。

 たとえば『羊たちの沈黙』(1991年)のハンニバル・レクターは、カッコいいサイコである。頭脳も暴力も一級品で、観客は彼を恐れつつも、どこかで憧れを抱いてしまう。しかし三井は極々平凡な変態である。予告で描かれているように、壁に千尋の大きな写真を貼り付けたり、“いかにも”なことをしているが、彼は決してカッコいいサイコにはならない。むしろ物語が進むにつれ、滑稽さを増してゆく。それが最も強く表れているのは、本作にはアクション映画で言うところの「殴り込みの前の完全武装シーン」があるのだが、そこで彼があるアイテムを装着するシーンだろう。そこまでの物語の流れも相まって、笑っていいのかテンションを上げていいのか分からない、奇妙で印象的なシーンになっている。

三井が最低な形で“覚醒する”シーンは一番の見どころ

 そして何より高良健吾だ。本作は三井のストーキング生活で構成されているので、いわば高良健吾の“1人相撲”で物語が進む。まさしく高良健吾・オン・ステージ。しかし……そもそも高良健吾は熊本でタウン誌の編集兼モデルとしてスカウトされ、そこから俳優デビューしたという経歴がある。いわば“目立つ人”なのであって、“忘れられる人”である三井とは正反対だ。キリっとした顔立ちもあり、正直こうした情けなさを前面に出したキャラクターがハマるのかと疑問に思ったが……実際に観てみると、すべて杞憂だった。

 高良健吾は純朴な青年から一人前のサイコ、そして己の弱さを思い知り、そこからの一歩まで、ベストを尽くしている(実際、冒頭のエレベーターから降りてくるところで「あれ? 高良健吾ってこんなんだっけ?」と驚いた)。全編を通して三井の心情がモノローグとして語られるのだが、正直それが「説明過多」に感じるほど表現力があった。また前述の完全武装シーンもさることながら、彼が最低な形で覚醒するシーンは一番の見どころかもしれない。男性の最も身勝手で、最も情けなく、最もカッコ悪い姿を堂々と演じ切ったのは見事だ。

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