『トイ・ストーリー4』ウッディの決断が意味するもの “クルー全員が泣いた”製作の意図を深読み
「あの人、大丈夫かな……」
『トイ・ストーリー4』の上映会で私から3席ほど離れた場所に座っていた女性が、気の毒になるほど泣いていました。もちろん私も泣いていたけれど、私の涙は物語に感動して泣いた程度の量。劇場内の音に耳を傾けると、あちらこちらからすすり泣きや嗚咽が聞こえてきました。いわゆる「泣ける」を謳った映画でも、ここまでではなかったと思います。私的に、劇場が最も泣いていた映画は『タイタニック』なんですが、それをはるかに上回る嗚咽量。なにかすごいことが起こっているような気がしました。
劇場をあとにする時、泣きはらした顔の人たちを見かけましたが、決して明るい顔ではなく、なんというか、思いつめたような怒ったような表情でした。泣ける映画を見たあと、来場客は大抵スッキリした顔をするものなのにーー。
この体験の後、私は本作のプロデューサーであるマーク・ニールセン氏に単独インタビューする機会に恵まれました。その中で、製作中はクルー全員が泣いたということを知りました。『トイ・ストーリー4』は、クルーが心が締め付けられるような思いをしてでも作らなければいけなかったストーリーだったというのです。
その理由は、「ウッディの中に大きな変化を持たせ、大きな目的のために行動させる必要があったから」というものでしたが、私はその目的というのが劇中の展開ではなく、もっと大きな、観客を巣立たせる目的も含んでいたのではないかと深読みしました。
※以下、『トイ・ストーリー4』のネタバレを含みます。
子離れさせるウッディ
1995年に製作され、1996年に初めて日本で公開された『トイ・ストーリー』。この作品を幼少期にリアルタイムで見た人たちは、今、30才前後の立派な大人です。『トイ・ストーリー』はシリーズが進むごとに登場人物も成長し、『トイ・ストーリー3』ではアンディ少年が17才に成長し、大切にしていたおもちゃを手放すラストになっています。おもちゃ達はボニーという新たな持ち主に大切にされ幸せな余生を送るだろうと予感させました。ただ、その終わり方は「自分は都合があって飼えないけれど、次の飼い主に大切にしてもらってね」といってペットを譲渡する人の感覚に近く、他人に希望を預けた形でした。
本作では、その「次の飼い主に大切にしてもらえるであろうはずが、蓋を開けてみたら違った」という展開で始まります。ウッディやバズをみながら育ってきたファンからしてみたら、のっけから強烈なパンチを食らわされたはず。なにせファンは、おもちゃとしての希少価値を含め、ウッディの全てを知っているわけですから。しかも、ボニーが心から必要とするのは、ゴミとも違わない手作りおもちゃです。
物語は過去の3作とはテイストを変え、観客の予想をことごとく裏切り、「最後はやっぱりウッディを愛してくれるだろう」という希望を豪快にぶち壊し、ファンを完全に置いてきぼりにします。今までの作品が、自分を包み込んでくれて絶対的な安心感を与えてくれる心の拠り所なら、本作はファンを突き放し拒絶したに近いものがあったと思います。このラストに裏切られたと思った人は少なくないかもしれません。大好きな作品を観にきて、どうしてこんな終わり方をされないといけないのか、怒っている人も多いと思います。
でも、4作通して一連の流れをみていたら、自然界のあることに酷似しているような気がしたんです。それが、動物の子離れです。