『トイ・ストーリー4』なぜファンが戸惑う内容になったのか? 作り手のメッセージから読み解く
『トイ・ストーリー』第1作(1995年)は、ピクサー・アニメーション・スタジオの最初の長編作品であると同時に、世界初の長編フルCGアニメーション作品でもある。CGによる表現がアニメーションの主流になりつつあるいま、世界初の長編アニメーションである、ディズニークラシック『白雪姫』(1937年)と同様に、それはアニメーションの変革を象徴する重要な作品となったといえるだろう。
CGという発達段階の表現手法がとられていることから、新作が作られるたびに飛躍的な進歩を遂げてきた、このシリーズ。全体的にバランスが安定し、作品として円熟の域に達した『トイ・ストーリー3』では、アカデミー賞長編アニメーション賞を受賞するなど、大きな評価を受けた。なかでもその結末は、シリーズを締めくくる“完璧な”ラストだと賞賛されることが多い。
だが、ここで紹介するシリーズ第4作『トイ・ストーリー4』は、そんなファンや多くの観客に大きな驚きをもたらす作品となった。新たに描かれた結末では、前作の“完璧な”ラストを覆し、第1作から積み上げてきた価値観に一部反するように感じられる展開が用意されているのだ。この結末を受け、「納得できない」と語る日本のファンも少なくない。
なぜ本作『トイ・ストーリー4』は、このような内容になったのか。ここでは製作の背景や物語の内容を振り返りながら、その理由を考察していきたい。
『トイ・ストーリー3』が、物語の素晴らしさで話題を呼んだ作品だったように、ピクサーの長編作品は、大勢のスタッフたちによるディスカッションを経て、数年がかりで脚本を完成させていくのが普通だ。これは、多くのアニメーションスタジオにしてみれば異例の対応である。
なぜピクサーは脚本にここまでこだわるのか。それは、長い製作期間を経て作り上げられるアニメーション作品には、“語るべき物語”が必要だという信念が、スタジオに醸成されているからである。今回はとくに、シリーズ第1作を作った中心人物たちが集まり、第4作のアイディアが、続編として足るものかどうかが話し合われたという。そう、“売れるから物語を作る”のではなく、“語るべき物語がなければ作らない”のがピクサーなのだ。だからこそ、そこに込められたメッセージは価値を持ち、ピクサーのブランドイメージを高めてきたのである。その基本は、これまでの製作を統括し、本作の完成前にスタジオから離脱したジョン・ラセターを中心に固められたものだ。
本作で新しく登場するのが、“フォーキー”というキャラクター。それは、本シリーズの主人公ウッディの新しい持ち主である少女ボニーが、プラスチックの先割れスプーンにモール紐を巻きつけ、シールを貼り付けただけの簡素な手作りおもちゃである。
ボニーにとって大事なお気に入りであるとはいえ、フォーキー自身は自分のことをゴミだと思っていて、自分からゴミ箱へと入っていきさえする。ボニーにとってフォーキーが重要な存在であることを知っているウッディは、根気強くフォーキーの面倒を見て、彼におもちゃとしてのアイデンティティを持たせようとする。