菊地成孔の『グリーンブック』評:これを黒人映画だと思ったらそりゃスパイクも途中退場するよ。<クリスマスの奇跡映画>の佳作ぐらいでいいんじゃない?

菊地成孔の『グリーンブック』評

「果たして、その結果は?」

 というサスペンスは物語の中には一切ない。これがなんと、どこに行っても、普通にリスペクトされ、大変なアプローズを受ける。要するにウケまくりなのである。イタリア人は彼の天才を知る。黒人が受ける屈辱は、トイレに入れない、レストランには入れない、控え室が物置である。と云った、ジャズミュージシャンなどと全く同じ、アレだ。ステージ上では紳士だが、ステージ下では気持ちの悪い猿だ。しかも、彼を掘っ建て小屋のボッタン便所に行くように命じる、彼を物置で着替え、食事を摂るように命じる白人たちは口を揃えて言う「私個人の決定じゃない。私は人種偏見はありません。上の決まりで(あるいは「この店のしきたりで」)」

ストーリーに斬新さは

 前述の、黒人が、どうやらおそらく、だが、ゲイであろう。と云うほのめかし以外には何もない。と言っても良い。前述の、そもそもの、演奏される内容とそれに対する聴衆がもたらす「?」と、ゲイかも。それで十分なのだ。あらゆるエピソード群は、どこかで見たことがあるものばかりが、見事に組み合わせられている。さては職人の仕事であろう。

 あとは、ニューヨークのクリスマスまで、つくりもんの一定量の感動が、前述の音楽の適正な扱いによる抑制効果もあって、お涙頂戴の下衆感なく、上品に上品に通奏される。さては職人の仕事だ。

そして監督はあの

 ピーター・ファレリーである(白人)。ジム・キャリーの『Mr.ダマー』とかキャメロン・ディアスの『メリーに首ったけ』でヒット飛ばして、それ以外は、そこそこ普通の、あの彼だ。仕事する以外、何をする? 彼に合衆国民としての問題意識がどこに? エリート黒人は中盤で、自分のアイデンティティの多重性について、雨の中、絶叫するようにイタリア人に問いかける。このシーンの軽さよ。さすが『メリーに首ったけ』で一瞬天下を取った職人監督である。

しかし、しつこいようだが

 本作は、適度な新しさを加えた、とても安全で優秀な「クリスマスの奇跡」映画だ。選曲担当(「ミュージカル・スーパーヴァイザー」と肩書き名が、最近やっと浸透した。OSTを書く作曲家と別に、既成曲を選曲して、劇中に流す仕事)者の仕事は、もう完璧(ディープサウスの各地に向かう、その向先を歌い込んだサザンソウルが流れる)とも言えるし、誰でもできる、とも言える、つまり最高だが、イージージョブである。イージーで何が悪い。黒人のポップ・ミュージックを知ってるのがイタリア人で、黒人は1曲も知らない。その設定に、リトル・リチャードが流れる。その繰り返しに、何の文句がある。

 筆者はつくりもんの定番品、その最も新しいやつで、安心して泣いた。合衆国民以外の特権だ。本作は古いボトルに新しいワインを注ぎ、大成功した例で、何の教訓も、考えさせるものもない事すら「実話だから」と云う大義で正当化される。そこそこよくできた娯楽作である。怒れ、強面だが理屈っぱいプロフェッサーS、怒れ、優しげだが胸に秘めた怒りはプロフェッサーどころじゃない完璧主義者ジェンキンス。怒れ、陽気で狂ったコメディアンであり、プロフェッサーのマイメンでもあるジョーダン・ピール。お前らは『グリーンブック』の受賞について、クソだらけに罵って良い。俺たちは罵れない。泣いてるし。ちなみに、タイトルは悪い。象徴的でもないし、気も利いてない。

(文=菊地成孔)

■公開情報
『グリーンブック』
全国公開中
監督:ピーター・ファレリー
出演:ヴィゴ・モーテンセン、マハーシャラ・アリ、リンダ・カーデリーニ
提供:ギャガ、カルチュア・パブリッシャーズ
配給:ギャガ
原題:Green Book/2018年/アメリカ/130分/字幕翻訳:戸田奈津子
(c)2018 UNIVERSAL STUDIOS AND STORYTELLER DISTRIBUTION CO., LLC. All Rights Reserved.
公式サイト:gaga.ne.jp/greenbook

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