宮台真司の『A GHOST STORY』評(中編):<森>の思考が思い描く<世界>を『トロピカル・マラディ』に見る

宮台真司『ア・ゴースト・ストーリー』評中編

『アンチクライスト』が範型だったのはなぜか

 前回はデヴィッド・ロウリー監督『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』(2017)を論じる準備として、<森>の映画の典型であるラース・フォン・トリアー監督『アンチクライスト』(2007)を論じました。神話的にも見える夫と妻の対立が、<草原>と<森>の対立、輪郭のあるものとないもの、言葉以降と言葉以前の対立、<社会>と<世界>の対立であることを、話しました。

 観ていて意外なのは、夫が妻に殺されて終わると思いきや、逆に夫が生き残ること。でも見終われば納得です。映画は、[<草原>から<森>へ⇒<森>から<草原>へ]即ち[<社会>から<世界>へ⇒<世界>から<社会>へ]という往還(往相と還相)を描き出していたのです。因みに僕の最初の映画論集は[<社会>から<世界>]へ、次の論集は[<世界>から<社会>へ]がモチーフです。

 往還を纏めれば、[<社会>⇒<世界>⇒<社会>]。<社会>とはコミュニケーション可能なものの全体=規定可能。<世界>とはありとあらゆる全体=規定不能。[規定可能⇒規定不能⇒規定可能]という抽象水準に注目すれば、[離陸⇒渾沌⇒着陸]という通過儀礼の図式だと分かります。そこでは渾沌による「治らない傷」が、離陸面と着陸面の差異を与えることになります。

 「治らない傷」は、リクリレーション(回復)として機能する娯楽から、アート(芸術)を区別する印でもあります。でも、僕がこの作品を<森>の映画のパラダイム(範型)を与えていると述べたのは、それだけが理由ではありません。「治らない傷」を描くと同時に、僕らに「治らない傷」をつけることで、今日のアート映画が果たすべき機能に自己言及しているからです。

 でも、それが今日要求されている機能である理由を理解するには、もう一段階必要です。それを理解すれば、『ア・ゴースト・ストーリー』が僕らのどんな要求に応えているのかが分かります。そのための「もう一段階」として、アピチャッポン・ウィーラセタクン監督『トロピカル・マラディ』(2004)*を検討します。「横の多視座」と「縦の多視座」がキーワードです。

*タイ語音声に英語字幕が付く版だけが存在する。タイトルは熱帯の風土病という意味。

同じ範型の内側にある『トラピカル・マラディ』

 ウィーラセタクン監督と言えば、カンヌ国際映画祭(2010)でタイ映画史上初めてのパルムドールを受賞した『ブンミおじさんの森』(2009)が有名です。でも真の最高傑作は『トロピカル~』です。『ブンミ~』は先が読めるのが最大の難点です。『トロピカル~』は全く予見不能です。そもそも別の着想ノートに基づく前半と後半から成り立っているのです。

 前半は北部の都会イサーンを舞台にしたゲイ同士の青春劇。後半は森林警備隊員による聖なる虎の追跡劇です。前半で「仕掛ける男ケン」を演じ、後半で「虎を追う森林警備隊員」を演じるのが、俳優バンロップ・ロームノーイ。前半で「仕掛けられる男トン」を演じ、後半で「追われる虎」を演じるのが、『ブンミ~』にも出演している俳優サックダ・ケウブアディーです。

 前半冒頭、ケンを含む森林警備隊員たちの、森を背景にした草原での実務が描かれます。そのケンが、トンを見初めて「仕掛ける=追いかける」のが前半の話。ケンを演じた俳優が後半でも「追いかける」森林警備隊員を演じ、トンを演じた俳優が後半でも「追われる」虎を演じるのです。わざわざ前半と後半の間のテロップで、同じ俳優であることが示されます。

 同じ俳優に同形式のモチーフを反復させるメトニミー(換喩)。それによって前半と後半が滑らかに繋がる。メタファー(隠喩)もそれを助けます。前半=<草原>。後半=<森>。ところが前半内でも「<草原>から<森>へ」が示され、後半内でも「<草原>から<森>へ」が示されます。全体がフラクタル構造なのです。フラクタル構造自体が<森>の主題を重ねて暗示します。

 監督*によれば、映画は時間軸的に展開される記憶を用いた表現なので、前半から後半へという順になった「だけ」。後半を観て得た視座を以て、前半を観て得た視座に「再参入」する営みが、狙われているのです。具体的には、後半を観た後に前半を想起remindingすることで、前半の印象が当初とは別のものに変移するように、設計されているという訳なのです。

*James Quand ed. 2009 Apichadpong Weerasethakul, Auslarian Film Museum.

 前回『アンチクライスト』では、[<草原>/<森>]の対立が[<社会>/<世界>]の対立の隠喩でした。動態を示せば、[<草原>=<社会>]が[<森>=<世界>]に脅かされる、というモチーフです。だから[<草原>=飲み込まれるもの/<森>=飲み込むもの]と記すこともできます。そこには[<社会>=低エントロピー/<世界>=高エントロピー]という図式が重ねられているのです。*

*高エントロピー:ほうっておけばそうなってしまう状態
 低エントロピー:持続的営為で支えないと続かない状態

 今回の『トロピカル~』にもまったく同じ図式があります。<草原>/<森>。<社会>/<世界>。低エントロピー/高エントロピー。輪郭あり/輪郭なし。光/闇。非液体/液体。離散/癒合。樹木/地下茎。レペティティブ(浅さ)/フラクタル(深さ)。線形/非線形。秩序/渾沌。男/女。能動・受動/中動。生/死。規定可能/規定不能。言語以降/言語未然。

 監督は、[後半=<森>=<世界>]を感じつつ[前半=<草原>=<社会>]を体験せよと言います。すると、[<世界>に囲繞された<社会>]が浮かび上がります。それはまるで「渾沌に浮かぶ秩序の島」「非日常に浮かぶ日常の島」です。ただしそこでは[秩序=正常/渾沌=異常]なのではありません。むしろ、秩序=<社会>こそが、ありそうもない(=低エントロピーの)奇蹟なのです。

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