宮台真司の『A GHOST STORY』評(中編):<森>の思考が思い描く<世界>を『トロピカル・マラディ』に見る

宮台真司『ア・ゴースト・ストーリー』評中編

範型の原型は記録上は初期ギリシャにまで遡る

 僕は社会学者なので、デュルケム『自殺論』(1897)を思い出します。人はふつう、無秩序(犯罪や自殺)を説明したがります。でも彼によれば、原理的に説明されるべきなのは秩序の方です。秩序こそ奇蹟だからです。それを説明するために彼は「社会的事実」「集合表象」など画期的概念を考案します。ただしこうした発想は近代では珍しいものの、古く遡れます。

 この発想は前5世紀の初期ギリシャに生まれます。彼らは地中海を挟んだセム族の構えを「エジプト的」と呼んで揶揄しました。当時は古代バビロニアが南イスラエル(ユダ王国)を滅ぼしたバビロン捕囚の頃。旧約聖書の中核が出来ました。そこでは、禍いは神の言葉(ロゴス)に逆らう「罪」に由来するとされ、罪を犯さなければ(if)禍いはなくなる(then)とされます。

 前12世紀からの「暗黒の四百年」を経験したギリシャ人は、「<世界>はそもそもデタラメである」ことを忘れないようにと、ギリシャ神話やホメロス叙事詩やギリシャ悲劇を記します。デタラメとは、大きな事柄については「ああすれば(if)こうなる(then)」という条件プログラムがあり得ないということ。<世界>のデタラメを物ともせず前に進むのが英雄だとされました。

 前5世紀(三千年前)の同時期、複数の場所で大規模定住社会(文明)が生まれました。文字が神官から行政官に拡がったからです。音声言語と違って書記言語は、近接的文脈(挙措や韻律など)に依存せず、脱文脈的に「直進」します。むしろ、近接的文脈ゆえの感染(ミメーシス)がノイズだとされます。ギリシャ人は、こうした散文言語の詩的言語*への優越を嫌いました。

*ロゴスに依る散文言語と隠喩・換喩に依る詩的言語を区別したのが言語学者ヤコブソン。

 <世界>のデタラメに抗うには不条理を物ともせずに前進する英雄への感染がロゴスよりも有効だ、とする構えを維持できたのは、比較的小規模なポリスの集合体だったからです。だから、ポリスの衰退が始まる前5世紀後半には、ソクラテスの口を借りてエジプト的なものを揶揄していたプラトンが、文脈自由な真理を導きの糸とする哲人王を賞揚しはじめます。

 ロゴスで記される統治技術が大切になったのです。その頃を代表するのがアリストテレス。ただし都市国家(ポリス)はそれを実現できず、マケドニア帝国の都市に頽落します。「秩序が正常、渾沌が異常」なる世界観が「勝利」し、最終的にはユダヤ・キリスト教的なものが近代を準備します。「渾沌が正常、秩序が奇蹟」なる構えはインドから東洋へと継がれました。

 それを象徴するのが虎。かつてシベリア・中国・朝鮮半島・東南アジア・インドに分布しました。1万年前まで日本にもいた。熱帯から温帯に跨がるそこには森が自生しました。因みに日本は、温暖化による過剰な森林化で草原が減り、獲物に飢えて虎が死滅、縄文化します。ウィーラセタクンはタイ人。男が一生に一度は出家するタイでは寺院が深い森にあります。

合体モチーフが隠喩するのは<森>の思考である

 「<草原>から<森>へ」のモチーフに関わるフラクタル構造と、「追跡」のモチーフが、前半と後半を繋ぐと言いました。正確には「追跡と合体」です。前半は、性愛関係に関わる「追跡と合体」。後半は、虎を追っていて捕食される「追跡と合体」。森林警備隊員は、森の猿から「亡霊から解放されたいならば虎を殺せ。さもなければ食べられて虎に合体せよ」と諭されます。

 『トロピカル~』がヴィヴェイロス・デ・カストロがいうアマゾン先住民の「食人の形而上学」の具体化だと論評される所以です。同名の原著が2010年刊行なので*著作からの影響ではないものの、デ・カストロが対象とするアマゾン先住民にとってのジャガー同様、『トロピカル~』後半の虎も<森>の神として登場し、「捕食されること」が合体として表象されます。

*Eduardo Viveiros de Castro 2010 Metaphysiques cannibales, PUF, Paris.

 これは偶然の一致ではなく、<森>の思考としてのシンクロでしょう。後半冒頭、クメールの偉大なシャーマンが虎に合体したとの逸話がテロップで示されます。後半の至る所で警備隊員が追う虎が人の姿(前半のトン役が演じる)をとります。追われる虎が人との「合体」を重ねてきた<森>の神であることが暗示されるのです。そのことが名状しがたい感覚を生みます。

 それは後で論じますが、ここでは前半における性愛的な「合体」が街との「合体」として描かれていることに注目します。デ・カストロに遡っても「合体」には二方向があります。一つは「横方向の多視座化」≒「境界線の溶融」です。もう一つは「縦方向の多視座化」=「横方向の多視座を包摂する視座の上位化」です。前者が虎=最強の獣。後者が<虎>=<森>*に当たります。

*シーロ・ゲーラ監督『彷徨える河』(2016)でもジャガーがジャングルの「最強の獣」でかつジャングル(=<世界>)の「創造者」でもあるという二重性が先住民の思考として描かれる。

 その意味で「合体」モチーフは、意味というより形。内容ならぬ形式です。だから「合体」モチーフの反復は、メタファー(隠喩)ではなくメトニミー(換喩)です。隠喩はシニフィエの連合。「君は樹だ」で言えば、「キミ」のシニフィエと「キ」のシニフィエが連合します。換喩はシニフィアンの連合。「君は黄身だ」で言えば、二つの「キミ」というシニフィアンが連合します。

 詩的言語や統合失調的言語使用の中核をなす隠喩と換喩は、映画の表現技法としても使われます。「登場する誰某はマレビトを暗示する」という類の隠喩は、今もありふれていますが、円形や螺旋が連続するという類の換喩は、初期の映画史やヒッチコックにはよく見られるものの、黒沢清監督らを除けば今は珍しい。実は『トロピカル~』には換喩が満載です。

 映画史だけでなく言語史的にも換喩が隠喩に先行します。ロゴス以前的なミメーシス(摸倣的反復)を惹起するからです。意味以降の<社会>ならぬ意味未然の<世界>における用法だからです。僕は意味未然に惹かれました。80年代後半は『深夜特急』を契機に第1次バックパッカー・ブームになりましたが(十年後が「猿岩石」の第2次ブーム)、影響をまともに喰らったからです。

 <社会>から<世界>を目指す場合、北(峻厳な自然)を目指す人と、南(主体未然の街)を目指す人がいます。凶悪犯罪者でも思想犯は北、ヤクザは南を目指します*。僕は後者。幾度もタイに出かけました。首都バンコックも夜は目貫通りが屋台だらけ。バイクは四人が乗ってノーヘル。歩行者優先はなく、治療費の方が高いので轢かれたら逃げなければ殺されます。

*田口ランディ・宮台「<世界>を経由して<社会>に戻る道すじ」(『生きる意味を教えてください』2008所収)で詳論した。一部を「http://www.miyadai.com/index.php?itemid=539」で読める。

 初回から敢えて何も調べずに「夏だからプーケット」と出かけたら、雨期の高波で泳げず、「泳げるビーチに行きたい」と現地ガイドに頼んだら、8人乗モーターボートに僕を乗せて5m以上の高波で荒れる外洋に乗り出しました。「ここで死んでも誰も気づかないな」と思った瞬間、大きな解放感が拡がりました。やがてラグーン到着。後にピピ・レ島だと知ります*。

*ダニー・ボイル監督『ザ・ビーチ』(2000年)を観て「ここだ」と思って調べて分かった。

 パタヤの街も鮮烈でした。鮮やかなネオン。賑やかな宴の声。バイクの音。排ガスの匂いが混じった屋台の匂い。突然のスコール。立ちこめる湯気。そう。「微熱感に包まれた街」。全てが夢のよう。この経験が80年代後半からのナンパやフィールドワークに繫がります。当時の渋谷も「微熱の街」。「微熱の街」を共有するので目が合うだけで仲良くなれるのでした。

 80年代半からナンパを始めた理由は、劣等感にありました。本を読んで論文を書くだけの院生には生活がなく、クソ社会を皆がどう生きてるのか分からない。高級マンションに住む商社マンの人妻はDVに悩んでいた。見事な軆をボディコンに包んだ女は彼氏が覚醒剤で服役していた。優等生の女子高生は援交していた…。僕は全てになり切って多視座化しました。

 96年夏までは単数の時間ならぬ複数の時間が流れていました。援交女子高生の視座。チーマーの視座。ブルセラ・デークラ店長の視座。客の男の視座。何を知らずに街を歩く人の視座。フィールドワークを通じても僕は多視座化しました。交わらないはずの複数の視座を同時に取得できたのです。それが96年夏を境に「微熱の街」が終わって、僕は鬱化しました。

 20余年前、渋谷が冷えた頃にバンコクも冷えました。ジェントリフィケーション*で屋台が整理され、四人乗りノーヘルのバイクもなくなります。2004年公開『トロピカル~』が描く北部の都会イサーンは、冷える前の「微熱の街」バンコクと全く同じ匂いと色彩と音を感じさせます。それから15年。イサーン最後の「置屋」も閉鎖されてしまったそうです**。

*観光価値や不動産価値を上げるための「環境浄化」をジェントリフィケーションという。
*イサーンでロケをした映画『バンコクナイツ』(2017)の富田克也監督から伺った。

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