小池徹平の負のスパイラルが止まることを祈る 『大恋愛』が描く“自分を残したい”という願い
居酒屋の店員さんにアテレコをして笑ったこと。初めてアップルパイを食べたこと。「なんでもかんでも好き勝手書いていいよ、こんなこととか(チュッ)、こんなこととか(チュッチュッ)、こんなこととか(チュッチュッチュッチュッチュッチュッ)」とイチャイチャしたこと。大好きな人たちに囲まれて、幸せいっぱいな結婚式を挙げたこと。餃子が羽根つきで焼けたのを一緒に喜んだこと。おでこをつけて、記憶の砂がこぼれ落ちないように頭の中に鍵かけたこと……。
尚(戸田恵梨香)と真司(ムロツヨシ)の微笑ましいやりとりは、私たちの中の脳みそにも記録されてきた。だからこそ、打ちひしがれてしまうのだ。若年性アルツハイマー病が奪うものの大きさに。鉛筆のようなモノの名前だけではなく、愛し合った記憶そのものなのだということに。
『大恋愛〜僕を忘れる君と』(TBS系)第7話。病が進行してしまった尚は新薬の治験対象外となってしまう。もしかしたら治るかもしれないという僅かな望みが絶たれた尚と真司は、痛くなるほどお互いの手を握りしめる。これ以上記憶の砂がこぼれ落ちないように、それによってふたりの心が引き離されないように。隣で歯を磨くことも、いつかできなくなってしまうのかもしれない。今でもハッキリ思い出せる愛しい記憶たちも、尚の中からすべて消えてしまうのだろうか。何度もふたりで歩いた思い出の道に差し掛かると、真司は涙が溢れるのを抑えられなくなる。覚悟をしていたつもりでも、なかなか受け入れられない。それが、悲しみという感情だ。
侑市(松岡昌宏)が言うように、私たちはいつか必ず死ぬ。それは、誰もがわかっていることだ。誰も逃れることのできない死について、私たちは覚悟しているつもりだ。だが、日常で、なかなか実感することができない。いや、考えたくないのだ。しかし若年性アルツハイマー病は、その日が確実に、そして想像するよりも早く来てしまうことを突きつけられる。
限りある人生を、誰とどう過ごしたか。忘れたくない記憶は、愛を感じた記録だ。ときに、それは生まれてきた意味にもなる。だからこそ、思い出を病によって忘れる・忘れられるというのは、自分の人生が削り取られていく感覚に近い。薫(草刈民代)の娘として生まれたこと。医師として奮闘したこと。真司を愛したこと。やっかいな病にはかかったけれど、たくさん笑って幸せだったこと。自分がここに生きていたということを、真司がひとりで背負うのではなく、誰かと一緒に笑えたら……。尚が子どもをほしいと思ったのは、そんな未来を願ったからではないだろうか。