『アニゴジ』は“ゴジラ作品”としてどうだったのか? 3作かけて向き合った壮大なテーマ
新たな「意味」を与えられた怪獣たち
ゴジラとはどういう存在なのかという問いかけも、ここでは比較的直接的に語られていく。本シリーズのゴジラは、2万年の歳月をかけ地球の環境と同一化しており、それはすでに「ゴジラ・アース」なる、地球そのものといえる存在にまでなっていた。第1作の時点では、環境を破壊してきた人類への痛烈な「しっぺ返し」が、ゴジラ・アースという自然と一体になったゴジラによって強調されている。
第2作『決戦機動増殖都市』では、さらに複雑な設定の「メカゴジラ」が登場する。ここでのメカゴジラは、意志を持って周囲の物体を吸収しながら成長し続ける、金属生命体のかたちづくる都市「メカゴジラシティ」として描かれる。人類に協力してきた異星人種「ビルサルド」たちは、自ら金属に吸収され、人としての肉体を放棄してメカゴジラシティと同一の存在になることでゴジラを凌駕しようとする。
「ゴジラ・アース」、「メカゴジラシティ」と、本シリーズの怪獣や兵器の概念は、いままでのシリーズ作品の要素を活かしながら、新たな解釈が加えられている。第3作『星を喰う者』で出現する「ギドラ(キングギドラ)」も同様であり、このギドラの存在の意味が明らかになることで、人間や怪獣の存在そのものが再び定義し直されることになる。
第3作の冒頭で、環境生物学者マーティンが述べるのは、ゴジラを核実験によって生み出してしまったという人間の自滅的行為、じつはそれこそが人間が存在する意義そのものだったのではないかという仮説だ。それは不思議な考え方のように聞こえるが、実際に科学分野において、このような思考に近い説が存在する。
混沌性、不規則性を表す「エントロピー」という科学用語がある。ビッグバンによって宇宙が誕生したときから現在に至るまで、世界は秩序のあった状態から、刻々と複雑に、無秩序になっていっている。そのことを「エントロピーの増大」と表現するが、生物も同様に、さまざまな種が増え進化や進歩を続けるなど、時間が進むほどに乱雑になり秩序を失っていくことが普通だと考えられている。宇宙の状態同様、生物もまたエントロピーを増やし続けていく。これ自体が宇宙の目的であり、生物全体の共通目的ではないかという考え方である。
そして生物にとって、エントロピーの増大は、最終的に生物自体の破滅を意味するという。人間は進歩の過程で多くの技術を獲得したが、公害や兵器開発など、それが人間を滅亡させる方向にも向かわせる要素となったのは周知の事実である。その代表的なものが核開発技術であろう。本シリーズは、その脅威を「ゴジラ」として象徴化させているのだ。
ギドラはなぜ無敵状態だったのか
人間存在にまつわる本作の問いかけは、それだけでは終わらない。別の次元より現れるギドラは、人類の滅亡と引き換えに生み出されるゴジラを、さらに捕食する存在として表現される。ギドラ、ゴジラ、人間。ここに数万年の時間をかけた壮大な食物連鎖のピラミッドが完成する。
ギドラが出現するシーンで、「特異点」、「エルゴ領域」などの言葉が人間たちのセリフのなかに組み込まれるが、これら専門用語が意味するのは「ブラックホール」である。ブラックホールは別次元への出入り口になっているのではないかという説があるが、これを利用してギドラは別の宇宙から移動して来るということが、本作の描写から分かってくる。
多次元宇宙という考え方の下では11もの宇宙が存在しているといわれる。そして「余剰次元」と呼ばれる、我々の存在する次元よりも高次元の宇宙の物理現象を、我々は認知できないとも考えられている。ゴジラの攻撃がギドラに全く通じず、人類もその存在をほぼ観測できないという劇中の描写は、このような科学的な仮説をベースとしているのだ。「エクシフ」たちの手引きによって複数の宇宙を行き来することができるギドラは、来るべき宇宙の崩壊にも対処できるため、地球環境に縛りつけられているゴジラのレベルを超えた生物なのだということが想像できる。
また、地球そのものであるゴジラ・アースが、なすすべなくギドラに捕食されていく構図は、強大なエネルギーを持つブラックホールが、星すら飲み込むことができるという物理現象を表していると考えられる。ブラックホールにとらえられた星は喰われていくしかない。これは自然の摂理であり、あらかじめ定められた運命であるといえよう。