引退作になるのは惜しい ヤン・シュヴァンクマイエル『蟲』が生み出す“良い意味での不快感”
御年83歳になるヤン・シュヴァンクマイエル自らがカメラに向かって語りかける冒頭。前作『サヴァイヴィング ライフ -夢は第二の人生-』と、その前の『ルナシー』と、近年やたらと自作に出るようになったシュヴァンクマイエルだが、いずれも冒頭シーンで、その作品について解説している。果たして映画にそのような“前置き”が必要なのかは色々と考えさせられる部分ではあるが、それがこれから始まる奇特すぎる世界への導入の役割を果たしていることは言うまでもない。
この『蟲』という映画では、劇中でモチーフとなるチャペック兄弟の戯曲『虫の生活』がどのような位置付けに置かれていた作品であるかを解説し、同作が持つペシミズムを映画のテーマにはしていないこと、さらに「合理性」と「道徳」を排除し「教訓」めいた作品を作らないために、あらゆる衝動を断ち切ることを語る。深く掘り下げれば政治的な批判が介在しているとの見方もできるシュヴァンクマイエルの諸作ではあるが、表面的にはそのような野暮ったいファクターを超越させてしまうのが彼の作品の何よりの強みであろう。
それにしても、オープニングタイトルから見受けられる大量の虫たちの姿には、これまでの彼の作品とはまた違う(良い意味での)気持ち悪さと不快感が生まれる。「良い意味での不快感」とは随分と矛盾したような言葉に思えるが、画面にそれが映し出された時に、視覚から伝達されていく拒絶反応が、最終的には映画全体において意味を持ったものであると解すことができるある種の「合理性」であると、これまでの作品では捉えることができた。しかし、それを排除すると宣言された本作では、どんな意味を持つのか。90分強の作品を観終えて、少し頭をひねってみたところで、結局のところ社会風刺としての一端を担っているという結論にしかたどり着きようがない。人間の貪欲さや醜悪さ、そして欲望に忠実な様。