何が少女を殺したのか? 『ウインド・リバー』が突き付けるアメリカ先住民・保留地の壮絶な実態

『ウインド・リバー』米先住民・保留地の実態

 物語の中盤、彼女の「死因」をめぐって一つの論争が起こる。彼女が死んだのは自然のせいなのか、それとも人間のせいなのか。雪原で生き絶えた彼女は誰かに殺されたのか、それともあまりの寒さのせいで死に至ったのか。

 死因が人間である、つまり「殺人」であることさえ科学的に立証できれば、アメリカ連邦捜査局、つまりFBIが積極的に動くことができる。しかし、そうでなければ連邦政府のインディアン局(BIA)の管轄となり、実際に動くのはウインド・リバー保留地の部族警察だけになってしまう。彼らは広大な土地をあまりにも少ない人数(本作では6人とされている)でカバーしており、真相究明はほぼ不可能になる。

 自然のせいなのか、人間のせいなのか。誰のせいなのか、何のせいなのか。その「真相」は闇へと消えてしまうのか。しかし、この問いは単に監察医の科学的判断にだけ関わる話ではない。

 ウインド・リバーで人が死ぬ。ウインド・リバーで若い女性が死ぬ。なぜ彼女は死ななければいけなかったのか。なぜ息をするだけで肺が破裂するような極寒の雪原で、ただ一人走り続けなければいけなかったのか。一体「誰」が彼女を見捨てたのか。一体「何」が彼女を殺したのか。

 「理由」は、どこまでも遡ることができる。「フェア」ではない環境の中で、アルコールに溺れるものがいる。ドラッグに溺れるものがいる。理性を失い、暴力に溺れるものがいる。

 では、なぜ彼らは溺れてしまったのだろう。溺れたものたちと、溺れなかったものたち、同じ環境の中で、彼らを二つに分かつものは一体どこにあったのだろうか。

 この映画はアメリカ先住民を取り巻く残酷な環境を痛切なまでに描き切っている。そして、彼らをこの環境のうちへと見放し、取り残した、アメリカという国のおぞましい成り立ちと歴史そのものを直視することを迫っている。彼女が死んだのは偶然ではない。彼女を殺したのは歴史であり、彼女を殺したのは国家である。

 しかし、それは物語の半分だ。もう半分は、やはり人間の方にある。

 物語の終盤、「運」などかけらも落ちていない極寒の地を舞台に、テイラー・シェリダンはそれでもなお強く「人間」であり続けようと意志する人間たちを描き、彼らを「人間」であり続けることを束の間諦めてしまった人間たちと対決させる。

 そうして私たちは学ぶのだ。溺れたものたちと、溺れなかったものたち、その違いこそが彼女から命を奪い去ったのだということを。

 運に見放された場所では、逆説的に、人間の意志こそがすべてを決定する。そういう直視されざる辺境を、かの超大国はその内側に今もなお抱え持ち続けている。

■望月優大
ライター・編集者。日本の移民文化・移民事情を伝えるウェブマガジン「ニッポン複雑紀行」編集長。移民・難民問題など社会的なテーマを中心に様々な媒体にて執筆。経済産業省、Google、スマートニュースなどを経て株式会社コモンセンスを設立し独立。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了。趣味は旅、カレー、ヒップホップ。1985年生まれ。Twitter:@hirokim21

■公開情報
『ウインド・リバー』
角川シネマ有楽町ほかにて公開中
監督・脚本:テイラー・シェリダン
出演:ジェレミー・レナー、エリザベス・オルセン、ジョン・バーンサル
音楽:ニック・ケイヴ、ウォーレン・エリス
提供:ハピネット、KADOKAWA
配給:KADOKAWA
原題:Wind River/アメリカ/107分/カラー
(c)2016 WIND RIVER PRODUCTIONS, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
公式サイト:http://wind-river.jp/

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