『少女邂逅』は“瞬間”の尊さを教えてくれる 忘れがたい光景として胸に焼きつく“煌めき”
「少女」とは、何を指してそう呼ぶのだろう。『少女邂逅』という、どこかいかめしく、神聖さすら感じさせるこの映画のタイトルを前にして改めてそんなことを考えてみる。「少女」とは、普通18歳前後までの女性のことを指す。この映画の登場人物たちは高校3年生の女性たち。つまり、まもなく「少女」であることを終えようとしている者たちだ。
“映画×音楽”をコンセプトとした「MOOSIC LAB」の企画の一編として製作された本作は、23歳の新鋭監督・枝優花と、ミュージシャン・水本夏絵のコラボレーションによって、少女たちの限られた時間の尊い煌めきを、1本の映画(=永遠の中)に閉じこめた。
本作には“蚕”という重要なモチーフが登場する。一般的にイモムシと呼ばれる幼虫からサナギになり、生み出した繭が人間のために利用されるか、成虫である蛾に“変身”し、ごく短い寿命をまっとうするしかない、あのカイコだ。“カイコ”と“カイコウ”、単純に音の響きが似た言葉遊びかと思いきや、そうではない。“邂逅”、つまり思いがけない出会いとは、その良し悪しは別として“変身”の契機となり得る。邂逅という言葉もまた、蚕という言葉と同じように変身という意味を含んでいるのだ。
そんな契機を得ることになる小原ミユリ(保紫萌香)は、クラスメイト3人(土山茜、斎木ひかる、里内伽奈)からいじめを受けている。タイトルから一方的に想像していた神聖さや、少女の園といったユートピアはそこにはなく、寒々しい色合いの画面には、まるで“映画×音楽”の企画にアンチの旗でも掲げたように、彼女の陰湿な日常が、まったく“ムージック”していない鈍いリズムで映し出されていく。
ミユリは言葉をうまく話せず、授業中に教師に指名されても返事すらうまくできない。この教師いわく、思春期である“少女”たちは心の病を抱えがちで、その多くは変身願望を持ち、それがピアスやタトゥー、あるいはリストカットといったものに反映されるのだという。ミユリは例に漏れず、リストカットをたびたび試みながらも、うまくできないでいる。あるとき、彼女が手首にカッターナイフの刃をあてようとすると、そこには1匹のイモムシが這っている。彼女はそれに“ツムギ”と名付け、大切にひそかに飼っていた。ところが、ツムギはいじめっ子グループに見つかり、森の中で捨てられてしまう。