国産ドラマの遺伝子を引き継ぐFODの試み 若者層からの支持がカギに
近年のテレビドラマを巡る状況を考える上で、無視できなくなってきているのがネットで有料配信されている動画配信サービスだ。
Amazonプライム・ビデオやNetflixでは、世界中のドラマが配信されており、デヴィッド・フィンチャーの『ハウス・オブ・カード 野望の階段』や『マインドハンター』など、世界的な映画監督が次々と参入する現象も起きている。Netflixで配信されていた又吉直樹の小説を原作とする『火花』は「500分の映画」として制作したと公言されていたが、基本的に海外ドラマがやっていることは2時間の映画でやっていたことを、長尺にしたものだと捉えている。
それも踏まえて思うのは、国産ドラマと海外ドラマは、そもそも消費形態が違う別のジャンルではないかと言うことだ。海外ドラマは設定が細かく作り込まれた作品が多く、人気があるとシーズン2、シーズン3と続き、スケールがどんどん拡大していく。作品によっては収集がつかずに破綻することもあるのだが、先行きがわからないまま続いていく姿は、むしろ少年ジャンプの長編漫画や『機動戦士ガンダム』のような国産アニメを観ている時の感触に近い。
対して、同じ有料配信メディアでも、『花にけだもの』や『ぼくは麻理のなか』といったFODで制作されている作品は、今の民放地上波では作れなくなってきている国産テレビドラマの遺伝子が生き残っていると感じ、こちらの方が、ドラマを観ているという感触がある。
その象徴が、『パパ活』や『彼氏をローンで買いました』といった野島伸司が脚本を手がけるドラマだろう。90年代に『101回目のプロポーズ』(フジテレビ系)や『高校教師』(TBS系)といったドラマを手がけてきた野島伸司は、レイプや近親相姦などといった過激なモチーフを持ち込み、作品を作るごとに「タブーを破った」と話題になった。
当時はゴシップ的な消費が先行していた面もあったものの、大衆の欲望を刺激する野島の作品には荒々しいエネルギーがあり、作り手も視聴者も当時は若かったのだなぁと、感じる。今の地上波のドラマは、映像もテーマも90年代に比べると円熟していて完成度が高まっている。しかし、どこか物足りない。中でも若者向け作品は性や暴力を描くことに対しては逃げ腰のものばかりで優等生的すぎる。