菊地成孔の『ブラックパンサー』評:本作の持つ逸脱的な「異様さ」、そのパワーの源が、もしトラウマであり、タブーなのだとしたら

菊地成孔の『ブラックパンサー』評

本作のタブーについて、わざわざ書く必要あるか?

 タブーなきものの、「順当なパワー」を内容でも興収でも遥かに超えた本作のタブーとは何か? タブーとは、再びフロイドを持ち出すなら、トラウマと同じで、当事者にも他者にも見えない。

 俗流に転化された「トラウマ」は、見える、例えば「おれ、ガキの頃に海で溺れかけたことがあってさあ、それからそれがトラウマになって、海で泳げないんだ」。これはフロイドの原義に従えば全くトラウマではない。単に「キツい経験の思い出」に過ぎない。キツい思い出だって現在を縛るよ。でも、この人、頑張れば絶対海で泳げるし、この思い出によって病気になったりしない。

 トラウマとは、誰の目にも見えず、持ち主の行動を根本から縛ってしまう強力な拘束具のことで、神経症の発症者であれ、発症していない者でさえ、自分のトラウマが、自分をどう縛っているか全く知らない。縛られている自覚すらない。だから「PTSD(Tがトラウマ)」という言葉を使うアメリカの精神医療はオモチャのフロイドである。帰還兵がおかしくなるなんて、そんなもん原因丸見えでしょうよ。彼らはトラウマを抱えているのではなく、余りにキツい思い出のフラッシュバックに苦しんでいるだけだ(無茶苦茶に気の毒だが)。

 とさて、トラウマ理論/タブー構造の適当すぎる解説はこんなもんにして、「異様さ」を持った本作のタブー/トラウマとはなんだろうか? 以下、わかりやすく箇条書きにすると

1)それ、言う必要あるか?

2)それ、誰も言ってないのか?

3)それ、ひょっとして、そんなことあるはずがないが、誰も気がついてないのか?

4)しかし、もう死んでるから良いけど、中根中(なかね なか。日本人でも数少ない、黒人問題の先導者)が聞いたら憤死すんぞこのタイトルと内容。

 の4点に尽きる。

今から、残り時間を使って、敢えてピエロになってみせるので、笑ってもらいたい。笑われないピエロは悲惨だ

 今から書くことは、おそらく、だが、検索したら1万倍の量の情報が出てくるから、興味がある人は検索したほうが良い。

 「ブラックパンサー(正式にはブラックパンサー党(BLACK PANTHER PARTY。以下BPP)」は、厳密にはオウム真理教に対するアーレフみたいな格好で、現在でもなんと活動中ではある。

 しかし、歴史的に見て、その活動の発動はマルカムXの死後であり、最盛期はマーティー・ルーサー・キングの死後である。つまり6~70年代である。「党」というだけあって、政治結社である。

 そこそこの映画マニアなら、あのジーン・勝手にしやがれ・セバーグの謎に満ちた車中死が、BPPとの関係を取りざたされたことがある。というトリビアぐらいは知っているだろう。

 オークランドが拠点だったと思うが、どこだとしても同じだ。都市部の貧しい黒人が居住区つまりゲトーを警察官から自衛するために結成された自警団的な側面が強かったが、政治的なイデオローグとしてはコミュニズムと民族主義のキメラであり、何よりも革命による黒人解放を提唱し(ここは日本の革マル=「革命マルクス学生運動」みたいなものだ)、最初期はアフロアメリカンに対し、やがてはあらゆる差別や抑圧を受けているマイノリティに対して、武装蜂起を呼びかけた(実際に武器の輸出も計画、実行されていた)。何せ60年代には、自由の女神像を爆破しようとして訴訟されてるのよ。「ブラックパンサー」は。

 今でいうとISだとか、ちょっと前で言うと連合赤軍だとか、さっきの革マルだとか、無理めな例えができなくもないが(とまれ、だ、30年後に、マーヴェルから、日本人のヒーロー軍団ができて、そいつらの名前が「連合赤軍」だとか、リーダーの名前が「カクマル」だとかね。あるいはイスラムのヒーローが以下同文、そう考えてもらって構わない)、要するに、現在も続く(おそらく未来永劫にわたって続く)合衆国内での、黒人の反体制運動の中でも、かなりの武闘派であって、定義者によれば最も危険な極左の暴力集団とするだろう。

 彼らが厄介だったのは、主にFBIにとって、公民権運動に代表される反体制運動のオールドスクーラーであるマルカムXとキング牧師の死によって(どちらも暗殺)、そして何より、公民権法の制定によって、やっとこ全米に広がった、燃え盛るようなアフロアメリカンによる反体制運動が鎮火すると思っていたら、いきなり焼け木杭に火がついた格好で、最初はローカルな弱小組織にすぎなかったのが、全米の、通過、世界中のマイノリティと共闘せんと、洒落にならない力を持ちはじまたからだ。「アフロにベレー帽、ショットガン持って街を歩く」という、とんでもない人だったわけだし。

一瞬、映画に戻りますよ

 筆者は、今自分がピエロであることを自認しながら、検索すれば誰にだって取れる情報を要約しているのだが、以下の事実がなければ、こんな野暮なことはしない。

 映画のほぼ冒頭、舞台は90年代初頭と思われるアメリカで、スターリング・K・ブラウン(テレビドラマ『THIS IS US 36歳、これから』で大ブレイク中。ここでのキャスティングもほぼその影響)演じるウンジョブ(主人公から見ると叔父)と、彼の相棒(と、思ったら、実は内部者で、ウンジョブを監視していた、のちにフォレスト・ウィテカー演じる「ズリ」)の部屋に、ヒップホップクルーであるパブリックエネミーの『It Takes a Nation of Millions to Hold Us Back(邦題「パブリックエネミー2」かなりの名盤)』のポスター(ヴァイナルのジャケだったかもしれない)、ガッツリ映ってる。

 そしてウンジョブは、世界の視察を目的としながら、合衆国のあまりの人種差別に、BPPの思想に染まってしまうのであった。その象徴が前述のジャケットである。

 偶然? 絶対に違う。「いやあ、当時の風俗ってだけでしょ」これも申し訳ないが絶対に違う。

 何故か? やはり反体制的な活動で知られるヒップホップクルー「パブリック・エナミー」の、クルー名の由来を書こう。

 この言葉は、FBIが、勢力を拡大し続けるブラックパンサー党に対して、必死のマスコミ操作によって、彼らを危険なファシスト扱いしようとした結果、編み出したコピーなのである。

「ブラックパンサー党は、民衆の敵のトップ(パブリック・エナミーno1)なのだ」

 話が入れ子構造みたいになっちゃってるから整理すると、あくまで、主人公たちが住む、ブラインド式のユートピア国家「ワガンダ」(これだって、アルファベットで一文字動かせばウガンダでしょうよ。日本語だったら、ウ冠の、上の短いチョンを取るだけである・笑)の王族でありながら、外の世界の視察に出たウンジョブは、路上の悲惨さにクラってしまい、ワガンダの鎖国政策から逸脱し、世界を変えようとする。「ブラックパンサー党によって残された言葉をクルー名にした、パブリックエナミー」のレコードに鼓舞されながら。

 このことを危険し、あるいは具体的な謀反と考えた、主人公の父はウンジョブを殺す、この遺恨がウンジョブの一粒種であリ、本作「現代風イケメン黒人2トップ」の片割れである、エリック・キルモンガー(マイケル・B・ジョーダン演)をして、復讐の鬼と化し、主人公ブラックパンサーとのタイマンとなる。

 当然、エリック・キルモンガーは悪役だから負ける。ちゅうか、死ぬ。しかしその直前にはブラックパンサーを倒し、天下を取るのだ。そして、そのとき彼がすることは「世界中の被差別者に武器(=ワガンダの特産品であり、門外不出の奇跡の鉱物「ヴィブラニウム」を使用/搭載した)を与えることで、すべての支配者を殺戮し、世界革命を起こさせる」というものなのだ。

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