菊地成孔の『ブラックパンサー』評:本作の持つ逸脱的な「異様さ」、そのパワーの源が、もしトラウマであり、タブーなのだとしたら

菊地成孔の『ブラックパンサー』評

批評掲載の経緯(比較的面白い)

 「<シェイプ・オブ・ウォーター>評の閲覧数が多く、好評なんで、『ブラックパンサー』もお願いできませんか? アレ、観ました?」と言われたのだが、そりゃあ観たよ。と言うと「連載で、、、、お願い、、、、できますかね、、(笑)」と言われた。ハリウッド映画おっかねえなあ。好きで見てるのも連載の対象に成りうるもんねえ(笑)。「か、、、書きます」と言うしかないではないか。

 ていうか『シェイプ』の閲覧数が多いってAAの主要賞とった今年の代表作なんだから、そんなの誰が書いたって閲覧数多いの当たり前なんじゃないの?と思いながら、原稿料欲しさに書くけれども(明言)、とにかく筆者は本作を「そのつもり」では見てない。

 プライヴェートで(つうかデートですよ。当たり前でしょうマーヴェルの映画なんだからさ!)鑑賞し、領収書とってないから経費に計上できないし(笑)、何せ気持ちが全然違う、一番の違いは集中力で、「ウヒーなんだこれ面白れー!」とか言って、細いところは全部記憶に頼りになる。筆者はポリシーとして、可能な限りネット検索はしない事にしている。今回最初に言いたいことは「あっぶねえパンフ買っといてよかったわ~」と「公開前に批評が内容を書くのはこの業界の掟として許されない」と、変なバカに、頼んでもいないのにたしなめられたことがあって(笑)、「もう公開も終わるんだから、好きなことを好きなだけ書いていいですよね?」という事である。因みに、今から書いて、書き終わってすぐ投稿し掲載するから(笑)今回特に、なんとゼロ校正(笑)という事で、誤変換や、事実関係の曖昧さや間違いがあっても筆者は責任を取らないので、あげあしを取って、自分の方が筆者より上だ、と思いたい気の毒な人とか、こうしたバックヤードの経過を書くこと自体が許せない(例えば「この業界の掟」とか・笑)、おっかない人とかは、リアルサウンド映画部に抗議して頂きたい。筆者はパブリックエナミーなんてなりたくないよ。「なりたくたって差別受けてないから成れないでしょ」というのが厳密なところだが。

批評はこんなもんでしょ(比較的つまらない)

 面白いモン褒めるのにも芸は要る、なんてダンディな格言が生きていたのはSNSなんちゅうものがなかった頃の、伝説みたいなものだろう。ネットをほぼほぼ見ないので、以下、想像になるが、アマチュアさんはともかく、プロの方で、本作の批評を

1)マーヴェルがとうとう、アフロアメリカンを主人公にしたヒーロー映画を作ったのは画期的。

2)暗い思索感が味わい深い、チャドウィック・ボーズマン、と敵役のマイケル・B・ジョーダンN、脇を固める、今やヴェテランのフォレスト・ウィテカー、脂が乗っている盛りのルピタ・ニョンゴ(SWシリーズから今回は客演的な側面も)、本作デビューのレティシャ・ライト等の演技もアクションも素晴らしい。

3)「スーパーヒーローでありながら国王」というキャクター設定がすごい。

4)ガジェット(コスチューム、言語、VFXによる都市デザイン、アクション演出、等々)の全てがかっこいい。

5)音楽が素晴らしい(実際ルドゥイグ・ゴランソンのオリジナル・サウンド・トラックは、「シェイプ」のデスプラに負けず劣らず素晴らしく、<ケンドリック・ラマーの主題歌以外は、マーヴェル・シンフォニーだろ>とタカをくくって行った観客は、ケンドリの方にむしろ迷いがあって、アフリカンパーカッションや、アフリカンシンフォニー→という民俗音楽のジャンルがあるのです。一般的な意味でのオーケストラの交響楽のことではありません。を、ハリウッドの王道OSTのマナーに、かなり攻めの形に移植し、安易な俗流エスニック・サントラにしていない本作のOSTの完成度と志の高さに必ずヤラれる筈)。

6)その他(アジア代表として登場する街が韓国のしかも釜山で、北東アジア~東南アジアでは普通だが、日本にだけ何故かない「入り口は八百屋とかなんだけど、地下に広大なカジノや麻薬の生成基地がある」を、とても効果的にファースト・アクションの舞台に使っている。ハリウッドがアジアン・エキゾチックとして選択するのは、古くは香港、東京などを経て、ウォシャオスキーの『クラウド アトラス』あたりから、すっかり韓国に移動。本作で完成→英語もハングル風にデザインされてるし、何せ、主要登場人物がはっきりと韓国語を話す。でもそれってミュージック・ヴィデオの世界に10年遅れてるよね。とか、スキンヘッド・フェチ(笑)とか、肌にボコボコつけるやつのフェチとか)。

7)アメコミマニアとしての、マーヴェルに於ける本作原作の位置。

 以上の7項目のうちからいくつか選んで、味の薄い幕の内弁当にして書いてる人が、おそらくほぼ全員だと思うし、そういう人は、筆者と違って、お金を誰かから貰っているか(一応念のため、本稿の原稿料は頂きますよ)、映画批評ができないか、恐るべき事にはその両方である可能性もある。

売れるに決まってるよこんな面白いモン

 本作は、ヒーロー物の高級ブランド、オーヴァーグラウンダーとして、ほぼほぼ弱点がなく、むしろ、<ファンタジーにアフロアメリカンカルチャー、使い放題(こういうのを「アフロフューチャリスティック」と言います>の喜びに満ちて、しかも乗ってる時というのは乗ってるもんで、打った球がみんな場外ホームランに飛んで、そんなもん、面白さについていちいち語ったらキリがない。

 「唯二人の白人キャラのうち、CIAのエヴェレット・ロス(マーティン・フリーマン演)の、良い役になるか悪い役になるかのサスペンス」とか、主人公の恋人と妹がどっちも戦士で、既に名女優であるルピタ・ニョンゴ演じる恋人より、本作デヴューのレティシャ・ライト演じる妹の方が(まあ、得な役。ということもあるが)キュートで魅力的である。とか、本年度AADで主要な賞の数多くのノミニー(受賞は脚本賞。10年に一度の名脚本『スリー・ビルボード』を蹴落としたが、この話の面白さは、今書いている暇はない・笑)である『ゲット・アウト』の主演、ダニエル・カルーヤが、本作では、そこそこ重要なサブキャラでありながら、演技合戦を邪魔しないように、ちょっと身を引いている感じとか、細部まで全部が全部面白いのである。そりゃあヒットしますよ。異様なまでに。

筆者は興行収益評価のプロではないから

 本作の「異様なまでの」ヒット、その「異様性」に関して、「作品が持つ面白さ」だけで稼ぎ出せる数字なのかどうか、つまり「異様におもしろいんだから、異様にヒットしたっておかしくないでしょ」と言われたら何も言えない。そもそもどれだけ興収あげてるか知らないし(ウイークデーの新宿TOHOシネマで、夜中の1時とかから観たけど、パンパンでしたよ)。

 しかし、「異様さ」には、必ず抑圧された何かがある。フロイドなんか持ち出さなくても、ピコ太郎が「異様に」売れたのには、何らかの「口に出してはいけないもの」としての抑圧。もっと露骨に言えば、タブーがある。逆にフロイドを持ち出すのであれば、「タブーがあるからこそ<異様な>パワーが出る」のだとも言える。

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