黒沢清は“侵略”を描き続けてきたーー『散歩する侵略者』遅すぎた3人の宇宙人の物語

荻野洋一の『散歩する侵略者』評

 思えば、黒沢清の映画はこれまでずっと「侵略」の映画であり続けたのではなかったか。監督本人は、今回初めて侵略もののSFに着手する機会となったと述べているが、ジャンル的にホラーという形であれ、アクションという形であれ、多くの場合、黒沢映画はアンシャン・レジーム崩壊劇という様相を呈するに至るのである。アンシャン・レジーム、つまり旧弊な体制が、あるカリスマの登場によって、そして彼の企みによっていっきに破綻に向かい、後戻りのできないカオスへと追いこまれていく。地球における幽霊の人口密度が飽和化し、生きている人類のスペースを侵犯し始めた『回路』(2000)というホラー作品は、黒沢清的映画のなんたるかを最も端的に説明しうる作品である。あの作品において初めて、アンシャン・レジーム崩壊劇の果ての人類終焉の目も当てられぬイメージが直裁的に描かれた。それまでの『カリスマ』(1999)や『CURE』(1997)において侵犯者の作戦は、本人の死によって中断するものの、役所広司などの無自覚な代行者がいつも登場して、侵犯者の見えざる遺志を継承し、アンシャン・レジーム崩壊劇を行けるところまで推進してみせる。このカリスマの死による中断と、無自覚な代行者による継承こそ、黒沢的アンシャン・レジーム崩壊劇の推進エンジンであり続け、それはまたポストモダン時代のファシズム予兆映画ともなっていた。

 『トウキョウソナタ』(2008)以降、『贖罪』(2012)、『岸辺の旅』(2015)、『クリ−ピー 偽りの隣人』(2016)、そして前作『ダゲレオタイプの女』(2016)と、黒沢清映画の物語的単位が夫婦に移行してきている。かつてアンシャン・レジーム崩壊劇としての黒沢映画は、侵犯される旧来の世界、つまり私たちがぬるま湯のごとく浸かっているこの世界と、侵犯者が起ち上げようとしている禍々しく、と同時に晴れやかでもある超人至上主義的な新世界(『カリスマ』の冒頭メッセージの文言を借りるなら、「取り戻された」世界秩序というもの)とが明確に分かれていた。ところが、夫婦、多くは関係の終わった夫婦を単位とするなかで、崩壊すべきアンシャン・レジームはすでに第一視野のものではなくなり、荒野における相互浸透的な侵犯のみが許されるようになる。「なにか得体の知れない、混乱した、ぞっとするようなものになっていくんだろうね」と、『岸辺の旅』の浅野忠信は妻の深津絵里に対し、成仏しない幽霊(赤堀雅秋)を評してそう述べる。しかし「なにか得体の知れない、混乱した、ぞっとするようなもの」というのは、自分たち自身の将来の姿ではないのか。

 長澤まさみが必死の形相で夫の松田龍平を説得する傑作なシーンがある。彼女は「侵略をあと50年くらい延期できないの? 宇宙人なんだからさあ」と言うのである。つまり、宇宙人は早すぎたのか? 「ほっといても、あと100年足らずで自滅すると思うけど」と高杉真宙は、地球人を観察した感想を求められ、そう返答していた。地球への「侵略」の手間は、無駄である。そういう意味では、宇宙人たちは早すぎたのではなく、遅すぎたのである。彼らの「侵略」がただただ滑稽なのは、遅刻の笑劇ゆえである。

 夫婦を単位とした近年の黒沢映画が(長澤まさみがいきなり『東京物語』の杉村春子の「もう嫌んなっちゃうなあ」を口真似するなど、いくぶんかパロディ的な色彩をまとってはいるが)一段と発展していく一方で、かつての黒沢映画の中心的存在だったカリスマの代行者らしき男が、久しぶりに現れるのが面白い。ふたりの若き宇宙人、恒松祐里と高杉真宙のガイドをつとめる長谷川博己である。当初、彼は週刊誌の記者としての興味から、宇宙人の「侵略」を消極的にアシストしていた。この長谷川博己がどういう運命を辿るのかはここでは言うまい。ひとつだけ言えるのは、予告編などですでに流れているように、〈飛行機vs人間〉というおそらく映画作家が一度はやってみたかったシーンが、『北北西に進路を取れ』のケイリー・グラント、『突破口!』のウォルター・マッソー、『宇宙戦争』のトム・クルーズを想起させながら、じつに豪快に、そして晴れやかに描かれている。笑みと共に走りまわりながら飛行機の爆撃を受けてみせる長谷川博己の快演に快哉をさけばずにいられない。

■荻野洋一
番組等映像作品の構成・演出業、映画評論家。WOWOW『リーガ・エスパニョーラ』の演出ほか、テレビ番組等を多数手がける。また、雑誌「NOBODY」「boidマガジン」「キネマ旬報」「映画芸術」「エスクァイア」「スタジオボイス」等に映画評論を寄稿。元「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」編集委員。1996年から2014年まで横浜国立大学で「映像論」講義を受け持った。現在、日本映画プロフェッショナル大賞の選考委員もつとめる。

■公開情報
『散歩する侵略者』
全国公開中
監督:黒沢清
原作:前川知大「散歩する侵略者」
脚本:田中幸子、黒沢清
出演:長澤まさみ、松田龍平、高杉真宙、恒松祐里、長谷川博己ほか
製作:『散歩する侵略者』製作委員会
配給:松竹/日活
(c)2017『散歩する侵略者』製作委員会
公式サイト:sanpo-movie.jp

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