『トランスフォーマー』シリーズ10年の歴史が獲得した、偉大なるマンネリズム

『トランスフォーマー』偉大なるマンネリズム

 自動車などが戦闘ロボに変形するという、メカ好きな子どもたちの夢をダブルで具現化したといえる玩具『トランスフォーマー』。この世界観をより広い年代に向け、200億円規模の予算をかけた超大作として映像化したのが、スティーヴン・スピルバーグが製作総指揮を務め、爆発アクション超大作を撮らせれば当代一のマイケル・ベイが監督する、実写映画版『トランスフォーマー』シリーズだ。

 シリーズの各作品にはそれぞれ異なったストーリーがあるものの、「正義のメカ軍団が悪のメカ軍団から地球を守るため戦う」という内容自体は同じで、トラックに変身できる正義の司令官“オプティマス・プライム”が、ラストシーンで教訓的な演説をするという演出も変わらないため、その王道的なスタイルに、近年では「飽きてきた」という声も聞かれる。だが、それでも世界で、本シリーズが安定的に興行収入を稼ぎ続けているというのも事実だ。観客は何故、映画『トランスフォーマー』に足を運ぶのか。5作目となる本作『トランスフォーマー/最後の騎士王』と、シリーズ10年の歴史を振り返りながら、その理由を考えていきたい。

 映画におけるCG(コンピューター・グラフィックス)の進化を体感する上で、シリーズ1作目は間違いなく衝撃的だった。映像表現の未来を切り拓いた、スティーヴン・スピルバーグ監督の『ジュラシック・パーク』から14年経ち、CG技術はさらに飛躍的な進歩を遂げた。巨大な金属生命体たちが“トランスフォーム(変形)”し、銃を撃ったり取っ組み合いをする姿を、素早いカメラワークとともに表現した映像は、もはや視認できる限界を超えた野獣的な激しさを獲得し、そこから生まれる未体験のダイナミズムは、もともと大スケールの映像表現を得意としていた、爆破狂のマイケル・ベイ監督の、過度に無邪気でド派手なセンスと見事に合致していたといえる。

 マイケル・ベイがどれほどとんでもない爆破狂かということは、本作に登場するアーサー王伝説にも連なる、イギリス南部の有名な遺跡「ストーンヘンジ」で今回、実際に爆発シーンを撮ろうとしたというエピソードからも理解できる。もちろん、そんな狂った要求は当局に拒否されたため、ベイはストーンヘンジそっくりの建造物を造らせ、爆破することにしたという。このように、CGだけでなく実写アクションへのこだわりがあるというのも本作の強みである。

 だがそんなマイケル・ベイ自身も、まさか10年間も、この超大作を撮り続けるとは思ってなかっただろう。5作目を手がける決心をしたのは、80年代のTVアニメ版からオプティマス・プライムの声優を続けているピーター・カレンから強く慰留されたという経緯があるという。マイケル・ベイが本シリーズへの情熱を失いかけたというのも無理はない。前述のとおり『トランスフォーマー』シリーズは、王道的展開を守り続けることで、毎回新しい意匠を凝らしても、シャイア・ラブーフからマーク・ウォールバーグへと主演が変更しても、どうしても同じ味わいの作品になってしまうのである。

 しかし、それはあくまで結果論だといえよう。いま本シリーズを見返すと、長寿シリーズの元祖である『007』がそうであるように、そのときそのときで、やれる限りの娯楽表現を徹底させるという意志を感じるのは確かである。逆にいえば、このような安定的な内容でなければ、ここまで続くこともなかったかもしれない。そのことも手伝って、我々がなんとなく花火大会や盆踊りに出かけたりするように、『トランスフォーマー』は2年に一度の「夏の風物詩」として定着しているように思える。ある意味で偉大なるマンネリズムを獲得しているのだ。主演のマーク・ウォールバーグは、本作を限りにシリーズからの引退を表明しているが、同様に次作以降、マイケル・ベイの手から作品が離れるようなことになったとしても、求められる限り『トランスフォーマー』は作られ続けるだろう。

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