『20センチュリー・ウーマン』の“言語化しにくい”魅力 マイク・ミルズ監督に受け継がれた精神
天井の火災警報器を眺めて美しさを見出すような繊細な感性や、Tシャツに洗濯機のイラストをプリントするような創造的人格は、どのようにして生まれるのか。映画監督マイク・ミルズが、自身がティーンだった時代を振り返り、自分の母親との関係を、当時の風合いを感じさせる郷愁的な映像で描いた『20センチュリー・ウーマン』は、グラフィック・デザインやCM撮影など、映画を撮る以前にも多岐にわたる視覚的なクリエイションに携わってきた、マイク・ミルズという人間の内面を解き明かす作品ともなっていた。
だが、本作を気に入った観客であっても、その良さを「言語化しにくい」という声を聞くことが多い。ここでは、そんな『20センチュリー・ウーマン』が描いた内容を、分かりやすく解説していきたい。
ロサンゼルスから北西に向かって、映画を一本観ることのできるくらいの時間、車を走らせた場所に、アメリカで最も美しいといわれるビーチを持つ観光都市、サンタバーバラがある。本作『20センチュリー・ウーマン』は、監督が多感な15歳を過ごした、1979年のサンタバーバラが舞台になっており、美しい風景や輝く陽光、当時のカルチャーが、マイク・ミルズらしく、壁に描かれるグラフィティのようなポップでマットな質感の映像で楽しめる。
監督の母親のイメージを託す、シングルマザーのドロシアを演じるのは、『グリフターズ/詐欺師たち』や、『アメリカン・ビューティー』などで、セクシーな魅力と確かな演技で評価されるアネット・ベニングである。
まず描かれるのは、息子ジェイミーが学校で問題を起こして教師に呼び出されても、一貫してジェイミーの側に立って、むしろ学校側の態度を問題視するドロシアの姿だ。親の筆跡を真似て学校にズル休みの手紙を提出するというジェイミーの不正を目にしても、「書類の偽造は良くない」と諭しながらも、「よく考えたわね」と成長を喜ぶ、よく言えば肯定的で愛情深く、悪く言えばユルい親であったことが分かる。
その根底には、彼女が片親であるということから、息子に対して十分なしつけや教育が出来ないのではないかという、不安と罪悪感があった。そこでドロシアは、ジェイミーの幼なじみの少女ジュリー(エル・ファニング)と、ルームシェアをしている写真家の女性アビー(グレタ・ガーウィグ)の二人に、多感な時期の息子を真っ当に育てるべく協力してほしいと依頼する。後に息子のジェイミーは、「彼女は大恐慌時代に生まれた人だから。当時は近所で協力し合って子どもを育てていたらしい」と、奇妙な依頼に困惑するジュリーに説明する。
ともあれここから、二人の女による、ジェイミーを「理想の男」に作り上げるゲームがスタートする。性に奔放なジュリーは、女心の複雑さと不可解さ、煙草の吸い方など現代的な男の所作を教え、パンクロックの音楽やファッションにイカレれているアビーは、好きなものを追求する生き方やフェミニズムについてエデュケートする。だが二人の教育はときにエスカレートし、性行為の体験談や、女性をオーガズムへと至らせる方法などまで教え始め、ドロシアをあたふたさせることになる。