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あふれ出るアニメ本来の魔法の力ーー湯浅政明監督『夜明け告げるルーのうた』の真価を探る

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 「生命を吹き込む魔法」(”The Illusion of Life”)という言葉がある。ディズニーの黎明期を支えたという伝説的アニメーターたちが生み出した、絵がまるで生きているように見せるアニメーション技術をまとめ、80年代にアメリカで出版された書籍のタイトルだ。まさにアニメーションの本質とは生命であり、それを作り出す魔法であると思う。

 「天才アニメーション監督」と呼ばれ、『マインド・ゲーム』や『四畳半神話大系』など、有機的でサイケデリックな作画と、現在の日本アニメの多くの監督とは一線を画すセンスなどによって熱狂的なファンを持つ湯浅政明監督。2017年は、『夜は短し歩けよ乙女』、『夜明け告げるルーのうた』と、湯浅監督の13年ぶりの劇場作品が、なんとほぼ同時期に2本も公開されるという、「湯浅当たり年」といえる僥倖に恵まれ、『マインド・ゲーム』以来のファンである私も、こんなことがあっていいのかと戸惑っていたところだ。

 その『夜明け告げるルーのうた』を観ながら、私は前述した「生命」と「魔法」という言葉を思い出していた。少女の人魚“ルー”が、美しく輝く水を自在に操るとき、心を閉ざした少年に、「好き、好きーーーっ! 」と無邪気に叫ぶとき、たしかに、そこには生命と魔法があふれていると感じ、アニメーションを見る根源的なよろこびに震え、涙がにじんでくるのである。では、この魔法は一体どこからあふれ出てくるものなのか。今回は、この秘密を解き明かすことで、本作『夜明け告げるルーのうた』の真価を探っていきたい。

 主人公の“カイ”は、寂れた漁港の町の中学生だ。両親が離婚したことで、父と一緒に東京から離れて、日傘職人の祖父の家に住んでいる。日無町(ひなしちょう)という名前の通り、この日光が差さない小さな町は、外界から隔絶され閉塞感に包まれている。中学校のOBは、「俺も東京に勝負しに行ったけど、結局負けて帰ってきた。この町で天才なんて言われてた奴らでも、あっちで通用した人数はゼロだ」と、未来に希望を持っているはずの学生たちにスピーチする。

 そういう環境の中で、カイは作曲した音楽をインターネットにアップすることで、かろうじて外界と通じていた。自分の心はこの場所にないというように。そんなカイが激変したのが、人魚のルーとの出会いによってだった。ルーに音楽を聴かせると、魚のかたちをした下半身が人間の脚に変化してゆく。音楽を止めると元通りになる。ルーという存在は、音楽に関わるときにだけ現実の問題を忘れ自由になることができる、カイの心の中そのものともいえる。彼はルーに出会うことで、本当の自分にも出会たのだ。カイという名前は、雄大な可能性を示す「海」であり、殻を開かない頑固な「貝」であり、またアンデルセンの童話『雪の女王』で、「何を見てもつまらないものに見える」という呪いの鏡の破片が体のなかに入って心を閉ざし、やがて少女によって助け出される少年“カイ”のようでもある。

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