菊地成孔の『お嬢さん』評:エログロと歌舞伎による、恐ろしいほどのエレガンスと緻密

菊地成孔の『お嬢さん』評

「韓国映画なんて観ない」という人に「勿体無いですよ」と言っても無駄だ。それは知っての上で言う、観ないと一生後悔しますよ

 「この、成人指定にして全世界で異例のヒットを飛ばしている作品は、あらゆる意味であなたが想像している韓国映画のどれとも違うし、水準は桁違いだ。だからそう、もうこれを韓国映画と看做さなくて良い」と言いたいところなのだが、何せ時代設定は日帝時代も日帝時代、1939年、言わずと知れた太平洋戦争の開戦前年である。

 本作は「韓国映画であること」を、最もえげつなく感じさせる『暗殺』(菊地成孔の『暗殺』評:「日韓併合時代」を舞台にした、しかし政治色皆無の娯楽大作)に続く、「時代設定により、片言の日本語と韓国語が乱れ飛ぶ韓国エンターテインメント映画」の、紛れもない大傑作である(半分ぐらい日本語)。もう、痛快さと重厚さに笑ってしまうほどの変態文芸ポルノの復権であり、映画への誹謗にも、また、誤解にすらならないだろうから最初にはっきり書くが、AVが失った、濃密な「ポルノ映画」のエロス(しかも、今の日本映画には絶対に撮れないレヴェルの、ある意味、目を覆わんばかりのエロさ、しかも美女と美少女の百合である)によって、男も女もはっきりと「抜けるし」、それが展開される世界は貴族の豪邸であり、これまた「目を覆わんばりの」強烈な美術セットと撮影の重厚さと滑稽さ、そしてストーリーは「このミステリーがすごい!」水準の軽く5倍付けである。

 筆者は鑑賞中ずっと「良いのか、これやって良い時代になったのか、良い時代になったなあ」と、垂涎の感嘆を繰り返し続けることになった。悪く(というか、ごくごく適正に、だが)書いた後に、更にダシにして悪いが、地球人は子供騙しの『ラ・ラ・ランド』(菊地成孔の『ラ・ラ・ランド』評:世界中を敵に回す覚悟で平然と言うが、こんなもん全然大したことないね)なんか観て胸をキュンキュンさせてる暇があったら、絶対にこれを観ないといけない。

 「無関係だろ?」って? いや、関係あるね。この、ある意味で戯画的なまでの様式美とエログロを湛え、知性と美学と変態性をポップにまとめあげた大傑作によって、性器をびしょびしょにしながら驚愕のストーリーを追うことの方が、発達学的な効果と浄化としては遥かに強度がある。「成人映画」という、元も子もない現実を踏まえなくとも、これは、大人の映画だ。

 いつまでも最高20代で時を止めて、ずっと恋をしていたいという「中、高、大、あらゆる二年生病」という、西欧からアジア~アフリカまでを覆う現代のペスト、本作はそのパンデミックへのダーク・アスピリンである。大人には、こんな悦びがある。本作は「大人が退行する事」の古典的で正しい形がしっかりと示され、現代のペストが、いかに病的であるかを、全く別の病理が炙り出し、撃つ。毒を持って毒を制するのだ。

批評なのだからして、こんなこと本当はしたくないのだが、今回ばかりは興収を1円でも上げてもらいたく、まずあらすじとキャスト紹介を書く

 とはいえ、水も漏らさぬネタバレ厳禁の本作なので、荒いも荒い紹介になるが、日帝時代、太平洋戦争の前夜、莫大な資産の相続人である秀子(キム・ミニ。韓流マニアなら言わずと知れた「ホン・サンスの愛人にして、ホン・サンスと一緒にパリからカナダに逃避行」と噂の美人女優)は、人里離れた大豪邸に、エログロの稀覯本=その多くは、当局の摘発によって弾圧を受けていた春画や江戸川乱歩など。のコレクターである、叔父の上月(『クッカジカンダ』から『暗殺』まで、今や韓国を代表する人気俳優、チェ・ジヌン)と二人で、屋敷から一歩も出ずに暮らしていた。

 彼女の仕事は、完全な変態である上月の客人である、日本人の銀行家や爵位もちの変態たちに、毎夜エログロ稀覯本を、若干の実演を交えて朗読する、というものである。

 そこに、ソウルのゲトーで結成された窃盗団からの魔の手が忍び寄る。窃盗団の中の実行犯は天才詐欺師である藤原伯爵(ハ・ジョンウ。『暗殺』の<ハワイ・ピストル>役。ハワイ・ピストルと同じく、信用ならぬ二枚目のタフガイである彼はハワイ・ピストルと同じく、映画の最後では以下自粛)と、孤児から女スリに成り上がった美少女スキ(キム・テリ。本作のためにオーディションを勝ち抜いてデビューした、日本でも十分美少女女優として通じる童顔27歳の彼女は、前述の名女優キム・ミニと、女性器が映らないだけで、アメリカン・ハードコアポルノの女優と全く同じレヴェルのセックスシーンをフェティッシュからハードコアまで、観客が腰を抜かすほど、ガンガンに演じる)の二人である。

 両者は、片や朗読会の客として、片や秀子のメイドとして(タイトルの所以)上月家に接触し、周到な計算のもと、資産を奪おうとするが。。。。

 というものだ。

「英国」の召喚を、とうとう韓国が

 原作は英国の女性作家(レズビアンをカムアウト。本作には思いっきり反映されている)による、「戦前エログロ」もののパスティーシュ的なポスト古典主義的な傑作で(発表は2002年)、もうファーストシーンから観客には詐術が仕掛けられているので(この事の指摘さえ、重要なネタバレ)、上記のあらすじ以外は一字一句かけない。

 作品は3部に分かれており、1部と2部は開始から40分間の出来事を、1人称となる登場自分物の視点を変えて反復し、驚くべき詐術の提示とともに、3部で、さらに驚くべき「その後」が描かれる。

 かといって、「楽に見ようとしていると、細かい伏線が張り巡らされすぎて振り切られ、嫌になってしまうような<ミステリーヲタ向けの、凝りに凝った原作>などではなく、驚愕のどんでん返しへの誘導が、気の利いた小学生にでもわかるような平明さで描かれている(残念ながら小学生は観れないが)。そしてテーマに政治性は皆無である。フェティッシュを際立たせるために純化された39年は、無言なだけに雄弁であるとも言える。

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