「自選シリーズ 現代日本の映画監督5 押井守」トークショー
押井守、“映画”と“女”への愛を語り尽くす 「いまは女優さんしか撮りたくない」
『圏外の女』——「どんどん役者にカメラで迫って、初めて役者に肉迫した作品」
この日の1本目に上映された『圏外の女』は、『大怪獣現わる』に先んじての熱海ロケによるもの。もともとは特撮テレビドラマ『ケータイ捜査官7』の第19・20話として制作され、統合再編集のディレクターズカット版も作られた。Blu-rayおよびDVDにはオンエア版とディレクターズカット版が両方収録されている。
「寺山修司に関するある種オマージュみたいなことが制作の直接の動機」「寺山がくり返し選んだモチーフのひとつに『サーカス一座の女の子』というものがあって。稀人(まれびと)っていうんですかね、外側から寄ってきて去っていく、自分の日常の圏外の人たち。ある意味では境界線上の人たち。そういう人間に対するある種のあこがれ」「あと忘れられないのは、中学時代の実体験。体育館で劇団が『蒼き狼』を上演して、お姫様役のとても素敵なお姉さんがいた。ところが舞台が終わったあと、その同じお姉さんが割烹着で後片付けの掃除をしていた。これが衝撃的でね」「そういったことを一度映画にしてみたいと思って作った」
出演した俳優たちについてもコメント。
「変なヤクザが出てくるんだけど、あれは主人公の守護天使。主人公以外には見えていない。演じた須藤(雅宏。現・正裕)さんは、実は僕が通っている空手道場の同輩(笑)。普段は水戸黄門の悪代官役とかやっている」「お姉さん(お七)役の安藤麻吹さんは、普段は声優なんだけど、元は俳優座の女優で。実際に巡演の経験もある方で、適役でしたね」「主人公ケイタ役の男の子(窪田正孝)は、お姉さんに抱きついたりとか、普段とは全然違う芝居ができたというので喜んでいた」
この『圏外の女』は、押井監督にとっては初となるテレビドラマの撮影現場だった。
「(熱海で撮影なので)ホームとは言いながら、 テレビドラマというアウェイの闘いでもあった。何しろ1日に100カット以上撮らなきゃいけない。映画の現場では多くても20カット。僕は特に撮らない方なので、20撮ると『今日は撮ったなあ』という感じだったんですけど、こっちは『監督、1日に150は撮っておかないと無理です』というね。初めてそういう現場を経験した」「なので瞬間的に、いま何を撮るべきなのかを判断する、そういうフットワークを学んだ仕事ではありましたね」「テレビドラマって役者を撮るものだって気づいた。ロングショットを撮っちゃいけないんだってね。ロングショットってアクセント以外に通用しないということがわかって。どんどん役者にカメラで迫って、初めて役者に肉迫した作品でもあるんですよ」
たとえば『機動警察パトレイバー2 the Movie』などで顕著なように、かつての押井監督は絵コンテやレイアウトをガチガチに決め込んですべてをコントロール下に置く制作体制で知られていたが、近年の『TNGパトレイバー』などでは撮影現場でカメラ割りを決めていくといった、即興的な作風に変化した。その萌芽のひとつが『圏外の女』だったのかもしれない。
また同作は、シリーズの基本設定をほったらかし(主役の携帯電話型ロボットのセブンはほぼ登場しない)という大胆な作劇でオンエア当時は賛否両論を招いたらしい。『ケータイ捜査官7』のシリーズ監督は三池崇史。
「何しろあれだけのことを許してくれた三池さんに感謝したい。三池さんは見た目は怖いけど、たいへんに人格者です」「『圏外の女』は、ホームの闘いであると同時に、 テレビドラマという異質な世界でアウェイの闘いを同時にやった、非常に思い出に残る作品だったのであえて今回入れさせてもらいました」
『大怪獣現わる』——「いまははっきり言って、女優さんしか撮りたくない」
トークは2本目に上映の『大怪獣現わる』についての話題へと移る。本作もまた『TNGパトレイバー』の中では異質な作風で、レギュラーキャラの登場割合は少ない。代わりに実質上の主人公として活躍しているのは松本圭未が演じる、海洋生物学者の七海言子だった。
「僕は今でも言子さんと呼んでいるけど、あの女優さんに会わなければたぶん実現しなかったと思う」「けっこう美人で、なおかつめちゃくちゃやれる女優さんに初めて会った。酔っぱらいの芝居がめちゃくちゃ上手かったので即座に決めた」
『圏外の女』の安藤麻吹にしろ『大怪獣現わる』の松本圭未にしろ、押井監督の現在の興味は女優へと傾注している。「女優さんに対する想いというのはね、僕の中にはある時から急速に出てきた。それはアニメーションをやる時でも同じなんですよ、実は。僕の映画の主人公は女性じゃなきゃならなくなっちゃったんです」とまで話す。
「僕はたしかに戦車やヘリコプター、銃撃戦といったメカニックなものや機械を撮るのが大好きなんですけど、それと同じぐらい、犬を撮ったり女優さんを撮ったりすることが、映画を撮るモチベーションにやっぱりなっているなということに、ある日気がついた」「いまははっきり言って、女優さんしか撮りたくない。申し訳ないけど、男の俳優さんにはほとんど興味がない」「やっぱりね、僕が監督であると同時に男である以上、これは避けられないと思った。女優さんと仕事するというのはね、どこかしらそういう要素がある。撮影中は少なくともある種擬似的な、恋愛関係に突入しますね。恋人として眺めています。そうじゃなきゃ撮れない。僕はトリュフォーでもヴァディムでもないけども(笑)」
一方、撮影現場では女優に傾注しすぎて、他スタッフから呆れられるという事態も起こっているらしい。
「(『TNGパトレイバー』の)3監督には『監督、必要なカットを撮ってないじゃないですか!』と突き上げられ、(美術監督の)上條(安里)さんには『いくらなんでも言子さんへの愛が過ぎませんか?』と言われ、隊長役の筧(利夫)さんからも撮影中に『監督、これってパトレイバーのシリーズですよね?俺たちまるっきり関係ないじゃないですか!』と言われた」
こういった「現場で面白がりすぎた例」は、洋画にもたくさん見られるという。
「『地獄の黙示録』を撮った大巨匠(フランシス・F・コッポラ)も、現場で戦争を再現して戦争ごっこをやっている方があきらかに楽しかった、ということを本で書いていますよね。映画史に残る大作『イントレランス』の監督(D・W・グリフィス)もあきらかにパラノイアになっていた」「リュック・ベッソンの場合は、『フィフス・エレメント』でミラ・ジョボヴィッチを世に出して、『ジャンヌ・ダルク』の撮影中に別れた。主役の女性に対する客観性が感じられない、一方的な片思いの映画になっているんだけど、ミラがとても美しく撮れている。監督ってそういうもので、女優さんに本気でイッちゃわないと、撮れないんですよ、たぶん」