『弁護人』が浮き彫りにする時代精神の変化ーー35年前の韓国、国家保安法は今どう映るか?

ダースレイダーの『弁護人』評

 アツい男、ソン・ガンホ。彼が画面に登場するだけで物語の硬度が増し、そこに圧倒的な熱量が加えられていく。静かな役を演じる時でさえ溢れ出す熱量……そんな役者が「国家を敵に回しても無罪を勝ち取る」と意気込む弁護士を演じたとしたらどうなるか。圧倒的じゃないですか。

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 ソン・ガンホの名演を数えたら切りがないです。『復讐者に憐れみを』では、娘を奪われ、鬼気迫る焦燥感とともに暴走していく父親。『シークレット・サンシャイン』では、鈍感でどこまでも優しい自動車修理工場の親父。『グエムルー漢江の怪物ー』では一家を支えながら怪物と対決する金髪の兄ちゃん、『グッド・バッド・ウィアード』では満州で暴れまわる悪漢。『渇き』では悩める吸血鬼を演じている。そのどれもがコントロールされながらも端々から熱量がにじみ出る素晴らしいものです。

 『殺人の追憶』での刑事役もはまり役で、この時の相棒、キム・レハとのリズム感たっぷりのやり取りのグルーヴは本作におけるオ・ダルスとのコンビからも感じられます。ちなみに本作での二人の会話、字幕では丁寧語が使用されていますが、あくまで気のいい男同士の屈託のないものだと思われます。

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 舞台は1970~80年代の韓国。実際に1981年に起きた釜林事件を元にしたストーリーです。釜林事件の詳細は以下になります。「執権初期の全斗煥(チョン・ドゥファン)政権が統治基盤確保のため釜林地域の民主勢力を抹殺すべく、社会科学書籍勉強会の学生や社会人など19人を令状もなく不法に逮捕。国家保安法違反などの罪を捏造した事件。当時、財務・会計弁護士として活躍していた廬武鉉元大統領は本件をきっかけに政治や社会問題に関わりを深めていった」(作品資料より)。本作でソン・ガンホ扮するソン・ウソクのモデルは廬武鉉元大統領です。彼は大統領退任後に不正疑惑を追及され、2009年に飛び降り自殺を遂げています。そのため、評価が分かれる人物ですが、本作ではその青年期を描いています。

 僕は常々予備知識なし、前情報なしのスタンスでの映画鑑賞を好んでいますが、本作観賞に当たってはこの時期の韓国の社会事情を知っておいた方が理解は早まると思います。それにしても驚くのは、ここで描かれている社会がわずか35年前ということです。全斗煥政権誕生のきっかけとなったのは、79年10月の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領暗殺事件だったわけですが、まさに現在、その朴正煕の次女、朴槿恵(パク・クネ)大統領が、知人による国政介入疑惑で韓国市民から激しく糾弾されています。映画には時間軸を組み直す作用があります。映画の中で描かれている時間と、それを観る現在の時間。そういう意味でも韓国で公開された2014年と、日本で公開された今では本作を観賞することの意味も変わって来ます。

 「時代精神のアップデート」という考え方があります。これは人種差別、性差別などから一般的社会常識に至るまで、その時代時代で当たり前とされていた事が少しづつアップデートされていき浸透していくという考えです。簡単な例を示すなら、70年前まで日本では婦人参政権が認められていませんでした。60年前のアメリカでは白人と黒人はレストランでもバスでもトイレでも別々にされていました。80年前のドイツではナチスが普通に選挙に勝って政権を取りました。今から考えるとあり得ないような事ばかりです。これをあり得ないと感じる事がアップデートの結果で、社会構造や文化圏が地域ごとに違っていても普遍的に広がっていくものが「時代精神」です。公職に就いている高齢者の失言などの背景には「時代精神」がアップデートされていないことが多いと思います。本作において、国家保安法の捜査を強行する警監チャ・ドンヨンを観てどう感じるのか? 観客は強く問いかけられます。

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