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小泉今日子、深津絵里、竹内結子……黒沢清が描く“女”たちはどう変化した?

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 黒沢清監督の新作『クリーピー 偽りの隣人』が公開中だ。近年でも突出した禍々しさを醸す本作、同監督のファンには97年の『CURE』以来の新たなサイコスリラーとして迎えられている。しかし両作、人が謎の狂気と対峙することで己の闇を知る物語構造こそ共通するものの、様相はまるで違う。『CURE』が渇ききった虚無の砂漠とするならば、『クリーピー』は暗い森の底無し沼。この違いの要因はいくつも挙げられるが、本稿では“女”たちに視線を向けたい。それはまた、近年における黒沢清映画の変貌を考察すると同義になるはずだから…。

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 『クリーピー』前半は犯罪心理学者の西島秀俊が過去の未解決事件を趣味で(!)捜査していく犯罪映画の流れである。その裏面で彼より一足先に異界への門を叩くのが、妻を演じる竹内結子だ。引越し先の近隣住民に挨拶まわりしようという常識的な人物に思われた彼女だが、徐々に不可解な言動が目立ちはじめ、夫も観客も知らぬ間、とんでもない異常事態に巻き込まれている。いや、彼女は誘われたと言った方が正しい。伝道師というより闇の道化師のような奇怪な隣人・香川照之の呼び声によって、女の心と体は諦めに満ちた日常からの脱出を図る。

 「日常から脱出する女性」が登場するのは黒沢映画において初めてのことではない。『岸辺の旅』の深津絵里は孤独だった日々から死者との漂流へ旅立ち、『トウキョウソナタ』の小泉今日子は内部崩壊していく家庭からオープンカーで脱出を試みた。『リアル』の綾瀬はるかも『Seventh Code』の前田敦子も平穏を捨て使命の下に戦う越境者だった。しかし以前の黒沢映画でこうした属性をもっていたのは、男たちの方だったではないか。いつだって海の外に曖昧な希望を抱く役所広司やジャンル映画のルールを疑いなく突き進む哀川翔、『回路』の加藤晴彦や『アカルイミライ』のオダギリジョーのように行くあてもなく疾走する若者たちだっていた。そんな“さまよい”にも似た運動を繰り返す男たちこそ、かつての黒沢映画のメインキャラクターだったが、ある時から男たちは何かに囚われ動けなくなってしまった。そして、その重さに耐えきれなくなった女たちがこぞって飛び出したのだ。その転換は『クリーピー』の暗黒を走る車内シーンで明確に視覚化されている。ハンドルを握り未来を睨みつける竹内結子、窓から顔を出して外吹く風を浴びる藤野涼子に対して、後部座席で犬と戯れる香川照之と手錠に繋がれた西島秀俊の哀れさ!

      

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