荻野洋一の『シリア・モナムール』評:死体の山の上で、人はそれでもシネフィルであり得るのか
オサーマ監督はまだシリアにいた頃、シネクラブの起ち上げを志す映画青年らと一緒に『ヒロシマ、モナムール』の上映に立ち会った。しかしその数時間後、青年は死体となってしまう。オサーマ監督はホムスに住む新しい友人シマヴに、チャップリンの映画を子どもたちに見せるようアドバイスする。悲惨な戦禍にあってもなお、チャップリンの映画は子どもたちに屈託ない笑いを提供する。この『シリア・モナムール』がすばらしいのは、ただ単にシリアの悲惨さを国際社会に訴えるための政治的なメッセージであるということだけでなく、死体の山の上で、人はそれでもシネフィル(映画狂)であり得るのか、という苦しい問いを諦めないでいる点なのである。
クルド人であり、女性であり、無名であるシマヴは、その場にいないオサーマ監督の足となり目となって、ホムス市街の危機をカメラで撮影し続ける。その勇気と覚悟に、私たち観客はただただ震撼することしかできない。「私は殺されるの? 父も母も殺された。こんどは私が殺される番だわ」と恐怖におののきながら、それでも彼女は「カメラを持った映画作家」たろうとする。
オサーマ監督は日本の観客にあてた書簡の中で、こう述べている。「ある決断をしました。それは、この映画で使わなかった映像はすべてシマヴのためにとっておくことです。私はいつか彼女と友人として会い、残りの映像を使ってもう一本の映画を作ることを夢見ています。彼女はここ数年間毎日撮影をしています。撮影をする行為は彼女にとって自分の生存を確かめる作業にも等しいのです。彼女は寝るときも、起きるときも、カメラは常にベッドの横に置いてあります。彼女にとってカメラはまるでサバイバルナイフのようなものなのです」。──シリアに残って映像を撮ってはオサーマ監督宛てにアップロードし続けるシマヴという女性に対する彼の感謝の念と賞讃の念が十二分に感じられる文章である。と同時に、のっぴきならぬ悲惨な状況下にあって、それでも映画という表現手段を肯定しようとする一組の男女が、遠く離れた距離を介しつつも心を通わせるこの光景は、きわめて感動的であり、映画そのものに対する最高度の擁護となっているように思う。
■荻野洋一
番組等映像作品の構成・演出業、映画評論家。WOWOW『リーガ・エスパニョーラ』の演出ほか、テレビ番組等を多数手がける。また、雑誌「NOBODY」「boidマガジン」「キネマ旬報」「映画芸術」「エスクァイア」「スタジオボイス」等に映画評論を寄稿。元「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」編集委員。1996年から2014年まで横浜国立大学で「映像論」講義を受け持った。現在、日本映画プロフェッショナル大賞の選考委員もつとめる。
■公開情報
『シリア・モナムール』
公開中
監督:オサーマ・モハンメド、ウィアーム・シマブ・ベデルカーン
(c)2014-LES FILMS D'ICI-PROACTION FILM